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【陽成院 ようぜいいん】(13番)筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

陽成院(13番)『後撰集』恋・777

🌿筑波嶺の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる

筑波山の峯から流れてくるみなの川も、

やがては深い淵をつくるように、私の恋もしだいに積もり、

今では淵のように深いものとなってしまったよ。

 

💠陽成院(ようぜいいん 868~949年)

清和天皇の第一皇子で、貞観十九年(877年)、

十歳のときに第五十七代天皇陽成天皇 ようぜいてんのうとして即位されましたが、

病気などのため、わずか十五才で譲位されました。

20番の元良親王もとよししんのうの父。

 

なんと素敵な恋の歌なのだろう🌟

小さな川の流れが、時を経て 淵をなすように

あなたへの 恋心もこのように深く強くなっています🌿

筑波嶺つくばねは、茨城県筑波山つくばさんのこと。

西の富士、東の筑波」と富士山と並び称される美しい山です🗻

 

このような、美しい恋文を贈られたのは、

光孝天皇 こうこうてんのう(15番)の姫君 綏子内親王 すいしないしんのう

陽成天皇陽成院)は、暴君とされていますが、

心に響くこの歌を詠んだ方‥

そして退位して上皇になってなくなるまでの65年間 静かに暮らされている。

政治的に難しいこともあったのかなあと感じました。

わかりやすくておすすめのブログです🌿ぜひご覧ください🌸

 

そして、母君はあの有名な藤原高子 ふじわらたかいこ 二条后 にじょうのきさき

伊勢物語で、在原業平が背負って逃げたという姫君👸

↓木曽街道六十九次之内 須原 業平・二條后 歌川国芳

 


百人一首を紐解くと、歴史や文学をさらに深く学べる気がします🌿

 

【資料🌼】

光孝天皇姫君の綏子内親王は、上皇となった陽成院に嫁ぎました。

 

元良親王陽成院の第一皇子 



この時期は、地震津波、台風、火山の噴火など、

日本が大災害に見舞われた時期でもあります。

こちらの日本三代実録 にほんさんだいじつろくは、

清和天皇陽成天皇光孝天皇の時代の記録で、

貞観の大地震についても書かれています。

貞観11年5月26日(869年7月9日)には、陸奥国で、

「驚濤湧潮、折洞濫長」があり、多賀城の城下まで津波がおしよせ 一面が海のようになったと書かれています。

清和天皇は、自らお召し物や食事を質素にされ、節約をすすめ、被災地の税を免除されたそうです。

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