【前大僧正慈円】(95番)
おほけなく うき世の民に おほふかな わがたつ杣(そま)に 墨染(すみぞめ)の袖🍃
〜身のほどをわきまえないことだが、つらい世の中を生きる人々に 覆い掛けるのだ。
比叡山に住み、 修行の道に入った私の僧衣の袖を。
そして人々のために祈ろう
💠 前大僧正慈円 💠 さきのだいそうじょうじえん (1155~1225年)
藤原忠通(ふじわらのただみち)の息子。
37歳の時に天台宗の座主となる。 (比叡山延暦寺の僧侶の最高職で首長)
法名が慈円でおくり名が慈鎮(じちん)。 日本初の歴史論集「愚管抄」の作者。
承久の乱の直前、朝廷と幕府の緊張が高まった時期の承久2年(1220年)頃成立したが、
乱後に修訂が加えられている
小さな頃から出家して、お父上は藤原忠通、お母様も藤原氏、九条兼実はお兄様。
バリバリのお坊ちゃんですが、小さな頃から出家して修行。
38歳で天台座主てんだいざすに就任。人望のある方だったようです。
承久の乱においても、北条義時追討の計画を西園寺公経と共に諌めたとのことです。
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