🌿権中納言定頼(64番)千載集 冬・419
🍃朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
〜朝、だんだんと明るくなってくる頃、
宇治川に立ち込めた川霧が とぎれとぎれに晴れていき
その霧の間から、しだいに現れてくる あちらこちらの川瀬に仕掛けた網代木よ
💠藤原定頼 💠 ふじわらのさだより (995~1045年)
優れた歌人であり、能書家。
藤原定頼は、「大江山~」の作者である 小式部内侍(60番)との逸話が有名。
(十訓抄じっきんしょう、古今著聞集ここんちょもんじゅうに載っています)
和歌の才で有名な和泉式部のお嬢様の小式部内侍。
藤原定頼君は、つい嫌味を言っちゃうわけ。
「お母さんの手紙は来ましたか?(代作の歌は届いたかね😎)」
「大江山は遠いし母の手紙も届いていませんよ(カンニングなんかしてないし💢)」
とやり込めたお話。
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それがきっかけなのかどうなのか、
小式部内侍殿となんだか後で付き合ってる感じなのよね💦
あれれー👀
宇治拾遺物語3巻、
今は昔、和泉式部の娘・小式部内侍には、
その時には、時の関白殿下が通っていた。
さてある晩、関白殿下と内侍が、
内侍の部屋で仲良く寝ている時、
何も知らない定頼公がお越しになった。
侍女が慌てて、定頼公に、
「実は」
と告げると、公は沓をはき直して帰りかけたが、
少し歩いたところで、お経を唱え始めた。
関白殿下の方は、ふと内侍が顔をお越し、
一声、二声と、庭先から聞こえるお経に耳を傾けるのを、
どういうわけだと不思議に感じていた。
やがてお経の声も少しずつ遠くなり、
でも四声、五声と、立ち去りかねるように続けて聞こえるから、
そのうちに内侍は、
「う」
と言って、後ろ向きに、ふさぎ込んでしまったのだった。
そののち、関白殿下は、
「あの時ほど耐え難く、恥ずかしかったことはない」
と、人に語ったという。
(原文)
今は昔、小式部内侍に定頼中納言物いひわたりけり。
それにまた時の関白通ひ給ひけり。
局(つぼね)に入(い)りて臥(ふ)し給ひたりけるを知らざりけるにや、
中納言寄り来て叩(たた)きけるを、
局の人、かくとやいひたりけん、
沓(くつ)をはきて行きけるが、少し歩み退(の)きて、
経をはたとうちあげて読みたりけり。
二声ばかりまでは、小式部内侍きと耳を立つるやうにしければ、
この入りて臥し給へる人、あやしと思(おぼ)しける程に、
少し声遠うなるやうにて、
四声五声ばかり行きもやらで読みたりける時、
「う」といひて、後(うし)ろざまにこそ臥しかへれたれ。
この入り臥し給へる人の、
「さばかり堪へがたう恥(はづ)かしかりし事こそなかりしか」と、
後(のち)にのたまひけるとかや。
あれ、なんかプロデュース説も出てる👀
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