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源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

少納言チャンネル🌷は、古典や漢文、文学の朗読を動画にしています。 🌼 音読で脳トレ&リラックスしましょ🍀

【源氏81 第六帖 末摘花1】源氏は夕顔の女君を失った悲しみを忘れることができない。源氏は縁のあった女を忘れない。乳母子の大輔の命婦から 気の毒な常陸宮の姫君のことを聞く。

【古文】

思へどもなほ飽かざりし夕顔の露に後れし心地を、

年月経れど、思し忘れず、

ここもかしこも、うちとけぬ限りの、

気色ばみ心深きかたの御いどましさに、

け近くうちとけたりしあはれに、

似るものなう恋しく思ほえたまふ。

 

いかで、ことことしきおぼえはなく、

いとらうたげならむ人の、

つつましきことなからむ、見つけてしがなと、

こりずまに思しわたれば、

すこしゆゑづきて聞こゆるわたりは、

御耳とどめたまはぬ隈なきに、

さてもやと、

思し寄るばかりのけはひあるあたりにこそ、

一行をもほのめかしたまふめるに、

なびききこえずもて離れたるは、

をさをさあるまじきぞ、いと目馴れたるや。

つれなう心強きは、

たとしへなう情けおくるるまめやかさなど、

あまりもののほど知らぬやうに、

さてしも過ぐしはてず、名残なくくづほれて、

なほなほしき方に定まりなどするもあれば、

のたまひさしつるも多かりける。

 

かの空蝉を、ものの折々には、

ねたう思し出づ。

荻の葉も、さりぬべき風のたよりある時は、

おどろかしたまふ折もあるべし。

火影の乱れたりしさまは、

またさやうにても見まほしく思す。

 

おほかた、名残なきもの忘れをぞ、

えしたまはざりける。

左衛門の乳母とて、

大弐のさしつぎに思いたるが女、

大輔の命婦とて、内裏にさぶらふ、

わかむどほりの兵部大輔なる女なりけり。

いといたう色好める若人にてありけるを、

君も召し使ひなどしたまふ。

母は筑前守の妻にて、下りにければ、

父君のもとを里にて行き通ふ。

 

常陸親王の、

末にまうけていみじうかなしうかしづきたまひし御女、

心細くて残りゐたるを、

もののついでに語りきこえければ、

あはれのことやとて、

御心とどめて問ひ聞きたまふ。

 

「心ばへ容貌など、

 深き方はえ知りはべらず。

 かいひそめ、人疎うもてなしたまへば、

 さべき宵など、物越しにてぞ、語らひはべる。

 琴をぞなつかしき語らひ人と思へる」

と聞こゆれば、

 

「三つの友にて、今一種やうたてあらむ」とて、

「我に聞かせよ。父親王の、

 さやうの方にいとよしづきてものしたまうければ、

 おしなべての手にはあらじ、となむ思ふ」

とのたまへば、

 

「さやうに聞こし召すばかりにはあらずやはべらむ」

と言へど、御心とまるばかり聞こえなすを、

「いたうけしきばましや。

 このころのおぼろ月夜に忍びてものせむ。まかでよ」

とのたまへば、わづらはしと思へど、

内裏わたりものどやかなる春のつれづれにまかでぬ。

父の大輔の君は他にぞ住みける。

ここには時々ぞ通ひける。

命婦は、継母のあたりは住みもつかず、

姫君の御あたりをむつびて、

ここには来るなりけり。

 

【現代文】

源氏の君の夕顔を失った悲しみは、

月がたち年が変わっても忘れることができなかった。

左大臣家にいる夫人も、

六条の貴女《きじょ》も強い思い上がりと

源氏の他の愛人を

寛大に許すことのできない気むずかしさがあって、

扱いにくいことによっても、

源氏はあの気楽な自由な気持ちを与えてくれた恋人ばかりが

追慕されるのである。

 

どうかしてたいそうな身分のない女で、

可憐《かれん》で、

そして世間的にあまり恥ずかしくもないような恋人を見つけたいと

懲りもせずに思っている。

少しよいらしく言われる女にはすぐに源氏の好奇心は向く。

さて接近して行こうと思うのにはまず短い手紙などを送るが、

もうそれだけで女のほうからは好意を表してくる。

冷淡な態度を取りうる者はあまりなさそうなのに

源氏はかえって失望を覚えた。

ある場合条件どおりなのがあっても、

それは頭に欠陥のあるのとか、

理智《りち》一方の女であって、

源氏に対して一度は思い上がった態度に出ても、

あまりにわが身知らずのようであるとか思い返しては

つまらぬ男と結婚をしてしまったりするのもあったりして、

話をかけたままになっている向きも多かった。

 

空蝉《うつせみ》が何かのおりおりに思い出されて

敬服するに似た気持ちもおこるのであった。

軒端《のきば》の荻《おぎ》へは 今も時々手紙が送られることと思われる。

灯影《ほかげ》に見た顔のきれいであったことを思い出しては

情人としておいてよい気が源氏にするのである。

 

源氏の君は一度でも関係を作った女を

忘れて捨ててしまうようなことはなかった。

左衛門《さえもん》の乳母《めのと》といって、

源氏からは大弐《だいに》の乳母の次にいたわられていた女の、

一人娘は大輔《たゆう》命婦《みょうぶ》といって 御所勤めをしていた。

王氏の兵部《ひょうぶ》大輔である人が父であった。

多情な若い女であったが、

源氏も宮中の宿直所《とのいどころ》では 女房のようにして使っていた。

左衛門の乳母は今は筑前《ちくぜんのかみ》と結婚していて、

九州へ行ってしまったので、

父である兵部大輔の家を実家として女官を勤めているのである。

 

常陸の太守であった親王(兵部大輔はその息《そく》である)が

年をおとりになってからお持ちになった姫君が

孤児になって残っていることを何かのついでに命婦が源氏へ話した。

気の毒な気がして源氏は詳しくその人のことを尋ねた。

 

「どんな性質でいらっしゃるとか御容貌《ごきりょう》のこととか、

 私はよく知らないのでございます。

 内気なおとなしい方ですから、

 時々は几帳《きちょう》越しくらいのことでお話をいたします。

 琴《きん》がいちばんお友だちらしゅうございます」

 

「それはいいことだよ。琴と詩と酒を三つの友というのだよ。

 酒だけはお嬢さんの友だちにはいけないがね」

こんな冗談を源氏は言ったあとで、

「私にその女王さんの琴の音《ね》を聞かせないか。

 常陸の宮さんは、そうした音楽などのよくできた方らしいから、

 平凡な芸ではなかろうと思われる」

と言った。

 

「そんなふうに思召して お聞きになります価値がございますか、どうか」

「思わせぶりをしないでもいいじゃないか。

 このごろは朧月《おぼろづき》があるからね、そっと行ってみよう。

 君も家《うち》へ退《さが》っていてくれ」

源氏が熱心に言うので、

大輔の命婦は迷惑になりそうなのを恐れながら、

御所も御用のひまな時であったから、

春の日永《ひなが》に退出をした。

父の大輔は宮邸には住んでいないのである。

その継母の家へ出入りすることをきらって、

命婦は祖父の宮家へ帰るのである。

 

【源氏81 第六帖 末摘花1】

乳母子の大輔の命婦から亡き常陸宮の姫君の噂を聞いた源氏は、

「零落した悲劇の姫君」という幻想に憧れと好奇心を抱いて求愛した。

親友の頭中将とも競い合って逢瀬を果たしたものの、

彼女の対応の覚束なさは源氏を困惑させた。

さらにある雪の朝、

姫君の顔をのぞき見た光源氏はその醜さに仰天する。

その後もあまりに世間知らずな言動の数々に辟易しつつも、

源氏は彼女の困窮ぶりに同情し、

また素直な心根に見捨てられないものを感じて、

彼女の暮らし向きへ援助を行うようになった。

二条の自宅で源氏は鼻の赤い女人の絵を描き、

さらに自分の鼻にも赤い絵の具を塗って、

若紫と兄妹のように戯れるのだった。

 

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【源氏80 第五帖若紫23 完】若紫(女王)が行方不明になり父宮は悲しむ。すっかり馴染んだ若紫は 源氏が帰ってくる時は誰より先に出迎えいろいろ話をする。

【古文】

「書きそこなひつ」

と恥ぢて隠したまふを、

せめて見たまへば、

「かこつべきゆゑを知らねばおぼつかな

 いかなる草のゆかりなるらむ」

と、いと若けれど、生ひ先見えて、

ふくよかに書いたまへり。

故尼君のにぞ似たりける。

「今めかしき手本習はば、いとよう書いたまひてむ」

と見たまふ。

雛など、わざと屋ども作り続けて、

もろともに遊びつつ、

こよなきもの思ひの紛らはしなり。

 

かのとまりにし人びと、宮渡りたまひて、

尋ねきこえたまひけるに、

聞こえやる方なくてぞ、

わびあへりける。

「しばし、人に知らせじ」

と君ものたまひ、

少納言も思ふことなれば、

せちに口固めやりたり。

ただ、

「行方も知らず、少納言が率て隠しきこえたる」

とのみ聞こえさするに、

宮も言ふかひなう思して、

「故尼君も、かしこに渡りたまはむことを、

 いとものしと思したりしことなれば、

 乳母の、いとさし過ぐしたる心ばせのあまり、

 おいらかに渡さむを、便なし、

 などは言はで、心にまかせ、

率てはふらかしつるなめり」

と、泣く泣く帰りたまひぬ。

 

「もし、聞き出でたてまつらば、告げよ」

とのたまふも、わづらはしく。

僧都の御もとにも、尋ねきこえたまへど、

あとはかなくて、

あたらしかりし御容貌など、

恋しく悲しと思す。

北の方も、

母君を憎しと思ひきこえたまひける心も失せて、

わが心にまかせつべう思しけるに違ひぬるは、

口惜しう思しけり。

 

やうやう人参り集りぬ。

御遊びがたきの童女、児ども、

いとめづらかに今めかしき御ありさまどもなれば、

思ふことなくて遊びあへり。

君は、男君のおはせずなどして、

さうざうしき夕暮などばかりぞ、

尼君を恋ひきこえたまひて、

うち泣きなどしたまへど、

宮をばことに思ひ出できこえたまはず。

もとより見ならひきこえたまはでならひたまへれば、

今はただこの後の親を、

いみじう睦びまつはしきこえたまふ。

 

ものよりおはすれば、まづ出でむかひて、

あはれにうち語らひ、御懐に入りゐて、

いささか疎く恥づかしとも思ひたらず。

さるかたに、いみじうらうたきわざなりけり。

 さかしら心あり、

何くれとむつかしき筋になりぬれば、

わが心地もすこし違ふふしも出で来やと、

心おかれ、人も恨みがちに、思ひのほかのこと、

おのづから出で来るを、

いとをかしきもてあそびなり。

女などはた、かばかりになれば、

心やすくうちふるまひ、

隔てなきさまに臥し起きなどは、

えしもすまじきを、

これは、

いとさまかはりたるかしづきぐさなりと、

思ほいためり。
 

【🪻現代文】

「書きそこねたわ」 と言って、

恥ずかしがって隠すのをしいて読んでみた。

『かこつべき 故を知らねば おぼつかな

 いかなる草の ゆかりなるらん』  

子供らしい字ではあるが、将来の上達が予想されるような、

ふっくりとしたものだった。

死んだ尼君の字にも似ていた。

現代の手本を習わせたならもっとよくなるだろうと源氏は思った。

雛《ひな》なども屋根のある家などもたくさんに作らせて、

若紫の女王と遊ぶことは

源氏の物思いを紛らすのに最もよい方法のようだった。

 

大納言家に残っていた女房たちは、

宮がおいでになった時に 御挨拶のしようがなくて困った。

当分は世間へ知らせずにおこうと、源氏も言っていたし、

少納言もそれと同感なのであるから、

秘密にすることをくれぐれも言ってやって、

少納言がどこかへ隠したように申し上げさせたのである。

宮は御落胆あそばされた。

尼君も宮邸へ姫君の移って行くことを非常に嫌っていたから、

乳母の出すぎた考えから、

正面からは拒《こば》まずにおいて、

そっと勝手に姫君をつれ出してしまったのだとお思いになって、

宮は泣く泣くお帰りになったのである。

 

「もし居所がわかったら知らせてよこすように」

宮のこのお言葉を女房たちは

苦しい気持ちで聞いていたのである。

宮は僧都《そうず》の所へも捜しにおやりになったが、

姫君の行くえについては何も得る所がなかった。

美しかった小女王の顔をお思い出しになって

宮は悲しんでおいでになった。

夫人はその母君をねたんでいた心も長い時間に忘れていって、

自身の子として育てるのを楽しんでいたことが

水泡《すいほう》に帰したのを残念に思った。  

 

そのうち二条の院の西の対に女房たちがそろった。

若紫のお相手の子供たちは、

大納言家から来たのは若い源氏の君、

東の対のはきれいな女王といっしょに遊べるのを喜んだ。

若紫は源氏が留守になったりした夕方などには

尼君を恋しがって泣きもしたが、

父宮を思い出すふうもなかった。

初めから稀々《まれまれ》にしか見なかった父宮であったから、

今は第二の父と思っている源氏にばかり馴染《なじ》んでいった。

 

外から源氏の帰って来る時は、

自身がだれよりも先に出迎えてかわいいふうにいろいろな話をして、

懐《ふところ》の中に抱かれて

少しもきまり悪くも恥ずかしくも思わない。

こんな風変わりな交情がここにだけ見られるのである。

大人の恋人との交渉には微妙な面倒があって、

こんな障害で恋までもそこねられるのではないかと

我ながら不安を感じることがあったり、

女のほうはまた年じゅう恨み暮らしに暮らすことになって、

ほかの恋がその間に芽ばえてくることにもなる。

この相手にはそんな恐れは少しもない。

ただ美しい心の慰めであるばかりであった。

娘というものも、

これほど大きくなれば

父親はこんなにも接近して世話ができず、

夜も同じ寝室にはいることは許されないわけであるから、

こんなおもしろい間柄というものはないと

源氏は思っているらしいのである。

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【源氏79 第五帖 若紫22】女王は「もう乳母と寝てはいけないよ」と源氏に言われ悲しがって泣き寝をする。源氏は 面白い絵や道具を持ってきて女王の機嫌を取っていた。

【🪻古文】

少納言がもとに寝む」

とのたまふ声、いと若し。

「今は、さは大殿籠もるまじきぞよ」

と教へきこえたまへば、

いとわびしくて泣き臥したまへり。

乳母はうちも臥されず、

ものもおぼえず起きゐたり。

 

明けゆくままに、見わたせば、

御殿の造りざま、しつらひざま、

さらにも言はず、

庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて、

かかやく心地するに、

はしたなく思ひゐたれど、

こなたには女などもさぶらはざりけり。

け疎き客人などの参る折節の方なりければ、

男どもぞ御簾の外にありける。

 

かく、人迎へたまへりと、聞く人、

「誰れならむ。おぼろけにはあらじ」

と、ささめく。

御手水、御粥など、こなたに参る。

日高う寝起きたまひて、

「人なくて、悪しかめるを、さるべき人びと、

 夕づけてこそは迎へさせたまはめ」

とのたまひて、対に童女召しにつかはす。

「小さき限り、ことさらに参れ」

とありければ、いとをかしげにて、

四人参りたり。

 

君は御衣にまとはれて臥したまへるを、

せめて起こして、

「かう、心憂くなおはせそ。

 すずろなる人は、かうはありなむや。

 女は心柔らかなるなむよき」

など、今より教へきこえたまふ。

 

御容貌は、さし離れて見しよりも、清らにて、

なつかしううち語らひつつ、

をかしき絵、遊びものども取りに遣はして、

見せたてまつり、

御心につくことどもをしたまふ。

やうやう起きゐて見たまふに、

鈍色のこまやかなるが、

うち萎えたるどもを着て、

何心なくうち笑みなどしてゐたまへるが、

いとうつくしきに、我もうち笑まれて見たまふ。

 

東の対に渡りたまへるに、

立ち出でて、庭の木立、

池の方など覗きたまへば、

霜枯れの前栽、絵に描けるやうにおもしろくて、

見も知らぬ四位、五位こきまぜに、

隙なう出で入りつつ、

「げに、をかしき所かな」

と思す。

御屏風どもなど、いとをかしき絵を見つつ、

慰めておはするもはかなしや。

 

君は、二、三日、内裏へも参りたまはで、

この人をなつけ語らひきこえたまふ。

やがて本にと思すにや、

手習、絵などさまざまに書きつつ、

見せたてまつりたまふ。

いみじうをかしげに書き集めたまへり。

「武蔵野と言へばかこたれぬ」

と、紫の紙に書いたまへる墨つきの、

いとことなるを取りて見ゐたまへり。

すこし小さくて、

「ねは見ねどあはれとぞ思ふ武蔵野の

 露分けわぶる草のゆかりを」

とあり。

「いで、君も書いたまへ」

とあれば、

「まだ、ようは書かず」

とて、見上げたまへるが、

何心なくうつくしげなれば、

うちほほ笑みて、

 

「よからねど、むげに書かぬこそ悪ろけれ。

 教へきこえむかし」

とのたまへば、

うちそばみて書いたまふ手つき、

筆とりたまへるさまの幼げなるも、

らうたうのみおぼゆれば、

心ながらあやしと思す。

 

【🪻現代文】

少納言の所で私は寝るのよ」

子供らしい声で言う。

「もうあなたは乳母《めのと》などと寝るものではありませんよ」

と源氏が教えると、悲しがって泣き寝をしてしまった。

乳母は眠ることもできず、ただむやみに泣かれた。

 

明けてゆく朝の光を見渡すと、

建物や室内の装飾はいうまでもなくりっぱで、

庭の敷き砂なども玉を重ねたもののように美しかった。

少納言は自身が貧弱に思われてきまりが悪かったが、

この御殿には女房がいなかった。

あまり親しくない客などを迎えるだけの座敷になっていたから、

男の侍だけが縁の外で用を聞くだけだった。

 

そうした人たちは新たに源氏が迎え入れた女性のあるのを聞いて、

「だれだろう、よほどお好きな方なんだろう」

などとささやいていた。

源氏の洗面の水も、朝の食事もこちらへ運ばれた。

遅くなってから起きて、源氏は少納言に、

「女房たちがいないでは不自由だろうから、

 あちらにいた何人かを夕方ごろに迎えにやればいい」

と言って、

それから特に小さい者だけが来るようにと

東の対のほうへ童女を呼びにやった。

しばらくして愛らしい姿の子が四人来た。

 

女王は着物にくるまったままでまだ横になっていたのを

源氏は無理に起こして、

「私に意地悪をしてはいけませんよ。

 薄情な男は決してこんなものじゃありませんよ。

 女は気持ちの柔らかなのがいいのですよ」

もうこんなふうに教え始めた。

 

姫君の顔は少し遠くから見ていた時よりもずっと美しかった。

気に入るような話をしたり、

おもしろい絵とか遊び事をする道具とかを

東の対へ取りにやるとかして、

源氏は女王の機嫌を直させるのに骨を折った。

やっと起きて喪服のやや濃い鼠《ねずみ》の服の

着古して柔らかになったのを着た姫君の顔に

笑みが浮かぶようになると、

源氏の顔にも自然笑みが上った。

 

源氏が東の対へ行ったあとで姫君は寝室を出て、

木立ちの美しい築山《つきやま》や

池のほうなどを 御簾《みす》の中からのぞくと、

ちょうど霜枯れ時の庭の植え込みが描いた絵のようによくて、

平生見ることの少ない黒の正装をした四位や、

赤を着た五位の官人がまじりまじりに出はいりしていた。

源氏が言っていたように  

ほんとうにここはよい家であると女王は思った。

屏風にかかれたおもしろい絵などを見てまわって、

女王はたよりない今日の心の慰めにしているらしかった。

 

源氏は二、三日御所へも出ずにこの人をなつけるのに一所懸命だった。

手本帳に綴《と》じさせるつもりの字や絵を

いろいろに書いて見せたりしていた。

皆美しかった。

「知らねども むさし野と云《い》へば かこたれぬ

 よしやさこそは 紫の故《ゆゑ》

✳︎ 行ったこともないが、武蔵野と聞くとためいきが出る。

  そうだ、そこにはえている紫草なつかしいから。

という歌の紫の紙に書かれた ことによくできた一枚を 

手に持って姫君はながめていた。

また少し小さい字で、

ねは見ねど 哀れとぞ思ふ 武蔵野《むさしの》の

露分けわぶる 草のゆかりを  

とも書いてある。

「あなたも書いてごらんなさい」

と源氏が言うと、

「まだよくは書けませんの」

見上げながら言う女王の顔が無邪気でかわいかったから、

源氏は微笑をして言った。

 

「まずくても書かないのはよくない。教えてあげますよ」

からだをすぼめるようにして字をかこうとする形も、

筆の持ち方の子供らしいのもただかわいくばかり思われるのを、

源氏は自分の心ながら不思議に思われた。

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【源氏78 第五帖 若紫21】若紫は不安で泣く。寝ていた女王を抱き上げて連れていく。困惑する少納言であったが同行する。不安になった若紫の女王は泣く。

🌸【古文】

君は何心もなく寝たまへるを、

抱きおどろかしたまふに、

おどろきて、宮の御迎へにおはしたると、

寝おびれて思したり。

御髪かき繕ひなどしたまひて、

「いざ、たまへ。宮の御使にて参り来つるぞ」

とのたまふに、

「あらざりけり」

と、あきれて、恐ろしと思ひたれば、

 「あな、心憂。まろも同じ人ぞ」

とて、かき抱きて出でたまへば、

大輔、少納言など、

「こは、いかに」

と聞こゆ。

 

「ここには、常にもえ参らぬがおぼつかなければ、

 心やすき所にと聞こえしを、

 心憂く、渡りたまへるなれば、

 まして聞こえがたかべければ。

 人一人参られよかし」

とのたまへば、心あわたたしくて、

「今日は、いと便なくなむはべるべき。

 宮の渡らせたまはむには、

 いかさまにか聞こえやらむ。

 おのづから、ほど経て、

 さるべきにおはしまさば、

 ともかうもはべりなむを、

 いと思ひやりなきほどのことにはべれば、

 さぶらふ人びと苦しうはべるべし」

と聞こゆれば、

「よし、後にも人は参りなむ」

とて、御車寄せさせたまへば、

あさましう、いかさまにと思ひあへり。

 

若君も、あやしと思して泣いたまふ。

少納言、とどめきこえむかたなければ、

昨夜縫ひし御衣どもひきさげて、

自らもよろしき衣着かへて、乗りぬ。

二条院は近ければ、

まだ明うもならぬほどにおはして、

西の対に御車寄せて下りたまふ。

若君をば、

いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ。

 

少納言

「なほ、いと夢の心地しはべるを、

 いかにしはべるべきことにか」

と、やすらへば、

「そは、心ななり。

 御自ら渡したてまつりつれば、

 帰りなむとあらば、送りせむかし」

とのたまふに、笑ひて下りぬ。

 

にはかに、あさましう、胸も静かならず。

「宮の思しのたまはむこと、

 いかになり果てたまふべき御ありさまにか、

 とてもかくても、

 頼もしき人びとに後れたまへるがいみじさ」

と思ふに、涙の止まらぬを、

さすがにゆゆしければ、念じゐたり。

 

こなたは住みたまはぬ対なれば、

御帳などもなかりけり。

惟光召して、御帳、御屏風など、

あたりあたり仕立てさせたまふ。

御几帳の帷子引き下ろし、

御座などただひき繕ふばかりにてあれば、

東の対に、御宿直物召しに遣はして、

大殿籠もりぬ。

若君は、いとむくつけく、

いかにすることならむと、ふるはれたまへど、

さすがに声立ててもえ泣きたまはず。

 

🌸【現代文】

源氏は無心によく眠っていた姫君を抱き上げて目をさまさせた。

女王は父宮がお迎えにおいでになったのだと

まだまったくさめない心では思っていた。

髪を撫《な》でて直したりして、

「さあ、いらっしゃい。

 宮様のお使いになって私が来たのですよ」

と言う声を聞いた時に姫君は驚いて、

恐ろしく思うふうに見えた。

「いやですね。私だって宮様だって同じ人ですよ。

 鬼などであるものですか」

源氏の君が姫君をかかえて出て来た。

少納言と、惟光《これみつ》と、外の女房とが、

「あ、どうなさいます」

と同時に言った。

 

「ここへは始終来られないから、

 気楽な所へお移ししようと言ったのだけれど、

 それには同意をなさらないで、

 ほかへお移りになることになったから、

 そちらへおいでになってはいろいろ面倒だから、

 それでなのだ。

 だれか一人ついておいでなさい」

こう源氏の言うのを聞いて少納言はあわててしまった。

「今日では非常に困るかと思います。

 宮様がお迎えにおいでになりました節、

 何とも申し上げようがないではございませんか。

 ある時間がたちましてから、

 ごいっしょにおなりになる御縁があるものでございましたら

 自然にそうなることでございましょう。

 まだあまりに御幼少でいらっしゃいますから。

 ただ今そんなことは皆の者の責任になることでございますから」

と言うと、

「じゃいい。今すぐについて来られないのなら、

 人はあとで来るがよい」

こんなふうに言って源氏は車を前へ寄せさせた。

 

姫君も怪しくなって泣き出した。

少納言は止めようがないので、

昨夜縫った女王の着物を手にさげて、

自身も着がえをしてから車に乗った。

二条の院は近かったから、まだ明るくならないうちに着いて、

西の対に車を寄せて降りた。

源氏は姫君を軽そうに抱いて降ろした。

 

「夢のような気でここまでは参りましたが、私はどうしたら」

少納言は下車するのを躊躇《ちゅうちょ》した。

「どうでもいいよ。もう女王さんがこちらへ来てしまったのだから、

 君だけ帰りたければ送らせよう」

源氏が強かった。

しかたなしに少納言も降りてしまった。

 

このにわかの変動に先刻から胸が鳴り続けているのである。

宮が自分をどうお責めになるだろうと思うことも

苦労の一つであった。

それにしても

姫君はどうなっておしまいになる運命なのであろうと思って、

ともかくも母や祖母に早くお別れになるような方は

紛れもない不幸な方であることがわかると思うと、

涙がとめどなく流れそうであったが、

しかもこれが姫君の婚家へお移りになる第一日であると思うと、

縁起悪く泣くことは遠慮しなくてはならないと努めていた。

 

ここは平生あまり使われない御殿であったから

帳台《ちょうだい》なども置かれてなかった。

源氏は惟光《これみつ》を呼んで帳台、

屏風《びょうぶ》などを その場所場所に据《す》えさせた。

これまで上へあげて掛けてあった几帳の垂《た》れ絹は

おろせばいいだけであったし、

畳の座なども少し置き直すだけで済んだのである。

東の対へ夜着類を取りにやって寝た。

姫君は恐ろしがって、

自分をどうするのだろうと思うと

慄《ふる》えが出るのであったが、

さすがに声を立てて泣くことはしなかった。

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