御局は桐壺なり。
あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、
ひまなき御前渡りに、
人の御心を尽くしたまふも、
げにことわりと見えたり。
参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、
打橋、渡殿のここかしこの道に、
あやしきわざをしつつ、
御送り迎への人の衣の裾、
堪へがたく、まさなきこともあり。
またある時には、
え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、
こなたかなた心を合はせて、
はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。
事にふれて数知らず苦しきことのみまされば、
いといたう思ひわびたるを、
いとどあはれと御覧じて、
後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を
他に移させたまひて、
上局に賜はす。
その恨みましてやらむ方なし。
住んでいる御殿は
御所の中の東北の隅《すみ》のような桐壺《きりつぼ》であった。
幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊《ろう》を
通い路《みち》にして帝がしばしばそこへおいでになり、
宿直《とのい》をする更衣が上がり下がりして行く桐壺であったから、
始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みが
量《かさ》んでいくのも道理と言わねばならない。
召されることがあまり続くころは、
打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、
送り迎えをする女房たちの着物の裾《すそ》が
一度でいたんでしまうようなことがあったりする。
またある時は
どうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、
そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、
桐壺の更衣の通り路《みち》をなくして
辱《はずか》しめるようなことなどもしばしばあった。
数え切れぬほどの苦しみを受けて、
更衣が心をめいらせているのを御覧になると
帝はいっそう憐《あわ》れを多くお加えになって、
清涼殿《せいりょうでん》に続いた
後涼殿《こうりょうでん》に住んでいた更衣をほかへお移しになって
桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。
移された人の恨みはどの後宮《こうきゅう》よりもまた深くなった。
🪻🎼止まない雨を見ていた written by キュス🪻
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