初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。
おぼえいとやむごとなく、
上衆めかしけれど、
わりなくまつはさせたまふあまりに、
さるべき御遊びの折々、
何事にもゆゑある事のふしぶしには、
まづ参う上らせたまふ。
ある時には大殿籠もり過ぐして、
やがてさぶらはせたまひなど、
あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、
おのづから軽き方にも見えしを、
この御子生まれたまひて後は、
いと心ことに思ほしおきてたれば、
「坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」と、
一の皇子の女御は思し疑へり。
人より先に参りたまひて、
やむごとなき御思ひなべてならず、
皇女たちなどもおはしませば、
この御方の御諌めをのみぞ、
なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。
かしこき御蔭をば頼みきこえながら、
落としめ疵を求めたまふ人は多く、
わが身はか弱くものはかなきありさまにて、
なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。
🌸更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕するほどの
軽い身分ではなかった。
ただお愛しになるあまりに、
その人自身は最高の貴女と言ってよいほどのりっぱな女ではあったが、
始終おそばへお置きになろうとして、
殿上で音楽その他のお催し事をあそばす際には、
だれよりもまず先にこの人を常の御殿へお呼びになり、
またある時はお引き留めになって
更衣が夜の御殿から朝の退出ができず
そのまま昼も侍しているようなことになったりして、
やや軽いふうにも見られたのが、
皇子のお生まれになって
以後目に立って重々しくお扱いになったから、
東宮にもどうかすればこの皇子をお立てになるかもしれぬと、
第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。
この人は帝の最もお若い時に入内した最初の女御であった。
この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしておいでになれなかった。
この女御へ済まないという気も十分に持っておいでになった。
帝の深い愛を信じながらも、
悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、
病身な、そして無力な家を背景としている心細い更衣は、
愛されれば愛されるほど苦しみがふえるふうであった。
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