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美しく聡明な皇子👑【源氏物語 2 第一帖 桐壺2】この御子のおよすげもておはする御容貌心ばへ ありがたくめづらしきまで見えたまふを、え嫉みあへたまはず。

御局は桐壺なり。

あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、

ひまなき御前渡りに、

人の御心を尽くしたまふも、

げにことわりと見えたり。

 

参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、

打橋、渡殿のここかしこの道に、

あやしきわざをしつつ、

御送り迎への人の衣の裾、

堪へがたく、まさなきこともあり。

またある時には、

え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、

こなたかなた心を合はせて、

はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。

 

事にふれて数知らず苦しきことのみまされば、

いといたう思ひわびたるを、

いとどあはれと御覧じて、

後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を

他に移させたまひて、

上局に賜はす。

その恨みましてやらむ方なし。

 

この御子三つになりたまふ年、

御袴着のこと一の宮のたてまつりしに劣らず、

内蔵寮、納殿の物を尽くして、

いみじうせさせたまふ。

それにつけても、世の誹りのみ多かれど、

この御子のおよすげもておはする御容貌心ばへ

ありがたくめづらしきまで見えたまふを、

え嫉みあへたまはず。

ものの心知りたまふ人は、

「かかる人も世に出でおはするものなりけり」と、

あさましきまで目をおどろかしたまふ。

 

住んでいる御殿《ごてん》は

御所の中の東北の隅《すみ》のような桐壺であった。

幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊《ろう》を

通い路《みち》にして帝がしばしばそこへおいでになり、

宿直《とのい》をする更衣が上がり下がりして行く桐壺であったから、

始終ながめていねばならぬ御殿の住人たちの恨みが

量《かさ》んでいくのも道理と言わねばならない。

 

召されることがあまり続くころは、

打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされて、

送り迎えをする女房たちの着物の裾《すそ》が

一度でいたんでしまうようなことがあったりする。

またある時は

うしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、

そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが

言い合わせて、

桐壺の更衣の通り路《みち》をなくして

辱《はずか》しめるようなことなどもしばしばあった。

 

数え切れぬほどの苦しみを受けて、

更衣が心をめいらせているのを御覧になると

帝はいっそう憐《あわ》れを多くお加えになって、

清涼殿《せいりょうでん》に続いた

後涼殿《こうりょうでん》に住んでいた更衣を

ほかへお移しになって

桐壺の更衣へ休息室としてお与えになった。

移された人の恨みは

どの後宮《こうきゅう》よりもまた深くなった。

 

第二の皇子が三歳におなりになった時に

袴着《はかまぎ》の式が行なわれた。

前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手な準備の費用が

宮廷から支出された。

それにつけても世間はいろいろに批評をしたが、

成長されるこの皇子の美貌と聡明さとが

類のないものであったから、

だれも皇子を悪く思うことはできなかった。

有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、

こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。

 

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