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藤壺の宮の入内🌸【源氏物語9 第一帖 桐壷 9】藤壺と聞こゆ。げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。

🪷母后、

「あな恐ろしや。

 春宮の女御のいとさがなくて、

 桐壺の更衣の、

 あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」と、

 思しつつみて、

 すがすがしうも思し立たざりけるほどに、

 后も亡せたまひぬ。

 

心細きさまにておはしますに、

「ただ、わが女皇女たちの同じ列に思ひきこえむ」と、

いとねむごろに聞こえさせたまふ。

さぶらふ人びと、御後見たち、御兄の兵部卿親王など、

「かく心細くておはしまさむよりは、

 内裏住みせさせたまひて、御心も慰むべく」

など思しなりて、

参らせたてまつりたまへり。

 

藤壺と聞こゆ。

げに、御容貌ありさま、

あやしきまでぞおぼえたまへる。

これは、人の御際まさりて、

思ひなしめでたく、

人もえおとしめきこえたまはねば、

うけばりて飽かぬことなし。

 

かれは、人の許しきこえざりしに、

御心ざしあやにくなりしぞかし。

思し紛るとはなけれど、

おのづから御心移ろひて、

こよなう思し慰むやうなるも、

あはれなるわざなりけり。

 

源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、

ましてしげく渡らせたまふ御方は、

え恥ぢあへたまはず。

 

いづれの御方も、

われ人に劣らむと思いたるやはある、

とりどりにいとめでたけれど、

うち大人びたまへるに、

いと若ううつくしげにて、

切に隠れたまへど、

おのづから漏り見たてまつる。

 

母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、

「いとよう似たまへり」と、

典侍の聞こえけるを、

若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、

常に参らまほしく、

「なづさひ見たてまつらばや」

とおぼえたまふ。

 

主上も限りなき御思ひどちにて、

「な疎みたまひそ。

   あやしくよそへきこえつべき心地なむする。

   なめしと思さで、らうたくしたまへ。

   つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、

   かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」

など聞こえつけたまへれば、

幼心地にも、

はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。

 

こよなう心寄せきこえたまへれば、

弘徽殿の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、

うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、

ものしと思したり。

 

世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、

名高うおはする宮の御容貌にも、

なほ匂はしさはたとへむ方なく、

うつくしげなるを、

世の人、「光る君」と聞こゆ。

藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、

「かかやく日の宮」と聞こゆ。

 

🪷お后は、そんな恐ろしいこと、

東宮のお母様の女御《にょご》が並みはずれな強い性格で、

桐壺の更衣が露骨ないじめ方をされた例もあるのに、

と思召して話はそのままになっていた。

そのうちお后もお崩《かく》れになった。

 

姫宮がお一人で暮らしておいでになるのを帝はお聞きになって、

「女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたい」  

となおも熱心に入内をお勧めになった。

こうしておいでになって、

母宮のことばかりを思っておいでになるよりは、

宮中の御生活にお帰りになったら若いお心の慰みにもなろうと、

お付きの女房やお世話係の者が言い、

兄君の兵部卿《ひょうぶきょう》親王もその説に御賛成になって、

それで先帝の第四の内親王は当帝の女御におなりになった。

 

御殿は藤壺《ふじつぼ》である。

典侍の話のとおりに、

姫宮の容貌も身のおとりなしも不思議なまで、

桐壺の更衣に似ておいでになった。

この方は御身分に批《ひ》の打ち所がない。

すべてごりっぱなものであって、

だれも貶《おとし》める言葉を知らなかった。

 

桐壺の更衣は身分と御愛寵とに比例の取れぬところがあった。

お傷手《いたで》が 新女御の宮で

癒《いや》されたともいえないであろうが、

自然に昔は昔として忘れられていくようになり、

帝にまた楽しい御生活がかえってきた。

あれほどのこともやはり

永久不変でありえない人間の恋であったのであろう。  

 

源氏の君—まだ源姓にはなっておられない皇子であるが、

やがてそうおなりになる方であるから筆者はこう書く。

—はいつも帝のおそばをお離れしないのであるから、

自然どの女御の御殿へも従って行く。

帝がことにしばしばおいでになる御殿は藤壺《ふじつぼ》であって、

お供して源氏のしばしば行く御殿は藤壺である。

宮もお馴《な》れになって隠れてばかりはおいでにならなかった。

 

どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はないのであるから、

皆それぞれの美を備えた人たちであったが、

もう皆だいぶ年がいっていた。

その中へ若いお美しい藤壺の宮が出現されて

その方は非常に恥ずかしがってなるべく顔を見せぬようにとなすっても、

自然に源氏の君が見ることになる場合もあった。

 

母の更衣は面影も覚えていないが、

よく似ておいでになると典侍が言ったので、

子供心に母に似た人として恋しく、

いつも藤壺へ行きたくなって、

あの方と親しくなりたいという望みが心にあった。

 

帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。

「彼を愛しておやりなさい。

 不思議なほどあなたとこの子の母とは似ているのです。

 失礼だと思わずにかわいがってやってください。

 この子の目つき顔つきがまたよく母に似ていますから、

 この子とあなたとを母と子と見てもよい気がします」

など帝がおとりなしになると、

子供心にも花や紅葉《もみじ》の美しい枝は、

まずこの宮へ差し上げたい、

自分の好意を受けていただきたいというこんな態度をとるようになった。

 

現在の弘徽殿の女御の嫉妬の対象は 藤壺の宮であったから

そちらへ好意を寄せる源氏に、

一時忘れられていた旧怨《きゅうえん》も再燃して憎しみを持つことになった。

 

女御が自慢にし、

ほめられてもおいでになる幼内親王方の美を

遠くこえた源氏の美貌《びぼう》を世間の人は言い現わすために

光《ひかる》の君《きみ》と言った。

女御として藤壺の宮の御|寵愛《ちょうあい》が並びないものであったから

対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。

🪷蒼白な月影 by まんぼう二等兵🪷

 

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