google.com, pub-8944455872984568, DIRECT, f08c47fec0942fa0

源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

少納言チャンネル🌷は、古典や漢文、文学の朗読を動画にしています。 🌼 音読で脳トレ&リラックスしましょ🍀

比翼連理 永遠の愛🪷【源氏物語 7 第一帖 桐壺 7】翼をならべ、枝を交はさむ と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき。

 

 

 

 

 

 

🪷命婦は、

「まだ大殿籠もらせたまはざりける」と、

あはれに見たてまつる。

御前の壺前栽のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、

忍びやかに心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、

御物語せさせたまふなりけり。

 

このごろ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、

亭子院の描かせたまひて、

伊勢、貫之に詠ませたまへる、

大和言の葉をも、唐土の詩をも、

ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。

いとこまやかにありさま問はせたまふ。

あはれなりつること忍びやかに奏す。

御返り御覧ずれば、

「いともかしこきは置き所もはべらず。

 かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になむ。

 荒き風ふせぎし蔭の枯れしより

 小萩がうへぞ静心なき

などやうに乱りがはしきを、

心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし。

 

いとかうしも見えじと、思し静むれど、

さらにえ忍びあへさせたまはず、

御覧じ初めし年月のことさへかき集め、

よろづに思し続けられて、

「時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけり」と、

あさましう思し召さる。

 

「故大納言の遺言あやまたず、

 宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、

 かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ。

 言ふかひなしや」

とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。

「かくても、おのづから若宮など生ひ出でたまはば、

 さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」

 などのたまはす。

 

かの贈り物御覧ぜさす。

「亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば」

と思ほすもいとかひなし。

「尋ねゆく幻もがなつてにても

 魂のありかをそこと知るべく」

絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、

筆限りありければいとにほひ少なし。

 

大液芙蓉未央柳も、げに通ひたりし容貌を、

唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ、

なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、

花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。

 

朝夕の言種に、

「翼をならべ、枝を交はさむ」と契らせたまひしに、

 かなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき。

風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、

弘徽殿には、

久しく上の御局にも参う上りたまはず、

月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。

いとすさまじう、ものしと聞こし召す。

 

このごろの御気色を見たてまつる上人、女房などは、

かたはらいたしと聞きけり。

いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、

ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。

 

🪷御所へ帰った命婦は、

まだ宵のままで御寝室へはいっておいでにならない帝を気の毒に思った。

中庭の秋の花の盛りなのを愛していらっしゃるふうをあそばして

凡庸でない女房四、五人をおそばに置いて話をしておいでになるのであった。

 

このごろ始終帝の御覧になるものは、

玄宗《げんそう》皇帝と楊貴妃《ようきひ》の恋を題材にした

楽天長恨歌《ちょうごんか》を、

亭子院《ていしいん》が絵にあそばして、

伊勢《いせ》や貫之《つらゆき》に歌を

お詠《よ》ませになった巻き物で、

そのほか日本文学でも、支那《しな》のでも、

愛人に別れた人の悲しみが歌われたものばかりを

帝はお読みになった。

帝は命婦にこまごまと

大納言《だいなごん》家の様子をお聞きになった。

身にしむ思いを得て来たことを

命婦は外へ声をはばかりながら申し上げた。

未亡人の御返事を帝は御覧になる。

もったいなさをどう始末いたしてよろしゅうございますやら。

こうした仰せを承りましても愚か者は

ただ悲しい悲しいとばかり思われるのでございます。

『荒き風防ぎし 蔭《かげ》の枯れしより

 小萩《こはぎ》が上ぞ しづ心無き』

というような、

歌の価値の疑わしいようなものも書かれてあるが、

悲しみのために落ち着かない心で詠んでいるのであるからと

寛大に御覧になった。

 

帝はある程度まではおさえていねばならぬ悲しみであると思召すが、

それが御困難であるらしい。

はじめて桐壺《きりつぼ》の更衣《こうい》の上がって来たころのことなどまでが

お心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみに帝をお誘いした。

 

その当時しばらく別れているということさえも

自分にはつらかったのに、

こうして一人でも生きていられるものであると思うと

自分は偽り者のような気がするとも帝はお思いになった。

 

「死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人への酬《むく》いは、

 更衣を後宮の一段高い位置にすえることだ、

 そうしたいと自分はいつも思っていたが、何もかも皆夢になった」

とお言いになって、未亡人に限りない同情をしておいでになった。

 

「しかし、あの人はいなくても

 若宮が天子にでもなる日が来れば、

 故人に后《きさき》の位を贈ることもできる。

 それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろう」

などという仰せがあった。

 

命婦《みょうぶ》は贈られた物を御前《おまえ》へ並べた。

これが唐《から》の幻術師が

他界の楊貴妃《ようきひ》に

逢《あ》って得て来た玉の簪《かざし》であったらと、

帝はかいないこともお思いになった。

『尋ね行く まぼろしもがな つてにても

 魂《たま》のありかを そこと知るべく』

絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描いたものでも、

絵における表現は限りがあって、

それほどのすぐれた顔も持っていない。

 

太液《たいえき》の池の蓮花《れんげ》にも、

未央宮《びおうきゅう》の柳の趣にも

その人は似ていたであろうが、

また唐《から》の服装は華美ではあったであろうが、

更衣の持った柔らかい美、

艶《えん》な姿態をそれに思い比べて御覧になると、

これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであった。

 

お二人の間はいつも、

天に在《あ》っては比翼の鳥、

地に生まれれば連理の枝

という言葉で永久の愛を誓っておいでになったが、

運命はその一人に早く死を与えてしまった。

秋風の音《ね》にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、

弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》は

もう久しく夜の御殿《おとど》の宿直《とのい》にもお上がりせずにいて、

今夜の月明に更《ふ》けるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを

帝は不愉快に思召した。

 

このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども

皆弘徽殿の楽音に反感を持った。

負けぎらいな性質の人で更衣の死などは

眼中にないというふうをわざと見せているのであった。


💠少納言チャンネルは、聴く古典として動画を作っております。ぜひチャンネル登録お願いします🌷

 


🪷第1帖 桐壺(きりつぼ)ぜひ ご覧ください🪷

第一帖 桐壺(きりつぼ)源氏物語 カテゴリーの記事一覧 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷 https://syounagon-web-1.jimdosite.com