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高麗人《こまうど》の観相【源氏物語 第1帖 桐壺 8の2】高麗人の参れる中に、かしこき相人ありけるを聞こし召して、宮の内に召さむことは、宇多の帝の御誡めあれば、いみじう忍びて、この御子を鴻臚館に遣はしたり。

そのころ、高麗人の参れる中に、

かしこき相人ありけるを聞こし召して、

宮の内に召さむことは、

宇多の帝の御誡めあれば、

いみじう忍びて、

この御子を鴻臚館に遣はしたり。

御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて

率てたてまつるに、相人驚きて、

あまたたび傾きあやしぶ。

 

「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、

そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。

朝廷の重鎮となりて、天の下を輔くる方にて見れば、

またその相違ふべし」

と言ふ。

 

弁も、いと才かしこき博士にて、

言ひ交はしたることどもなむ、いと興ありける。

文など作り交はして、

今日明日帰り去りなむとするに、

かくありがたき人に対面したるよろこび、

かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、

御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、

限りなうめでたてまつりて、

いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。

朝廷よりも多くの物賜はす。

 

おのづから事広ごりて、漏らさせたまはねど、

春宮の祖父大臣など、

いかなることにかと思し疑ひてなむありける。

帝、かしこき御心に、倭相を仰せて、

思しよりにける筋なれば、

今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、

「相人はまことにかしこかりけり」と思して、

 

「無品の親王外戚の寄せなきにては漂はさじ。

わが御世もいと定めなきを、

ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、

行く先も頼もしげなめること」

と思し定めて、

いよいよ道々の才を習はさせたまふ。

 

際ことに賢くて、

ただ人にはいとあたらしけれど、

親王となりたまひなば、

世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、

宿曜の賢き道の人に勘へさせたまふにも、

同じさまに申せば、

源氏になしたてまつるべく思しおきてたり。

 

年月に添へて、御息所の御ことを思し忘るる折なし。

「慰むや」と、

さるべき人びと参らせたまへど、

「なずらひに思さるるだにいとかたき世かな」と、

疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、

先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、

母后世になくかしづききこえたまふを、

主上にさぶらふ典侍は、

先帝の御時の人にて、

かの宮にも親しう参り馴れたりければ、

いはけなくおはしましし時より見たてまつり、

今もほの見たてまつりて、

 

「亡せたまひにし御息所の御容貌に似たまへる人を、

三代の宮仕へに伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、

后の宮の姫宮こそ、

いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。

ありがたき御容貌人になむ」

と奏しけるに、

「まことにや」と、

御心とまりて、

ねむごろに聞こえさせたまひけり。

 

その時分に高麗人《こまうど》が来朝した中に、
上手な人相見の者が混じっていた。
帝はそれをお聞きになったが、
宮中へお呼びになることは
亭子院のお誡《いまし》めがあっておできにならず、
だれにも秘密にして
皇子のお世話役のようになっている右大弁《うだいべん》の子のように思わせて、
皇子を外人の旅宿する鴻臚館《こうろかん》へおやりになった。

相人は不審そうに頭《こうべ》をたびたび傾けた。

「国の親になって最上の位を得る人相であって、
さてそれでよいかと拝見すると、
そうなることはこの人の幸福な道でない。
国家の柱石になって

帝王の輔佐をする人として見てもまた違うようです」
と言った。

弁も漢学のよくできる官人であったから、
筆紙をもってする高麗人との問答にはおもしろいものがあった。
詩の贈答もして
高麗人はもう日本の旅が終わろうとする期《ご》に臨んで
珍しい高貴の相を持つ人に逢《あ》ったことは、
今さらにこの国を離れがたくすることであるというような意味の作をした。
若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、
その詩を非常にほめていろいろなその国の贈り物をしたりした。

朝廷からも高麗《こま》の相人へ多くの下賜品があった。

 

その評判から東宮外戚の右大臣などは
第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いを持った。
好遇された点が腑《ふ》に落ちないのである。
聡明な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、
幸福な道を選ぼうとしておいでになった。
それでほとんど同じことを占った相人に価値をお認めになったのである。

 

四品《しほん》以下の無品《むほん》親王などで、
心細い皇族としてこの子を置きたくない、
自分の代もいつ終わるかしれぬのであるから、
将来に最も頼もしい位置をこの子に設けて置いてやらねばならぬ、
臣下の列に入れて国家の柱石たらしめることがいちばんよいと、
こうお決めになって、
以前にもましていろいろの勉強をおさせになった。


大きな天才らしい点の現われてくるのを御覧になると
人臣にするのが惜しいというお心になるのであったが、
親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを
当然受けそうにお思われになった。
上手な運命占いをする者にお尋ねになっても同じような答申をするので、
元服後は源姓を賜わって源氏の某《なにがし》としようとお決めになった。

 

年月がたっても帝は桐壺の更衣との死別の悲しみを
お忘れになることができなかった。
慰みになるかと思召して美しい評判のある人などを
後宮へ召されることもあったが、
結果は この世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないのであるという失望を
お味わいになっただけである。

そうしたころ、
先帝——帝《みかど》の従兄あるいは叔父君の第四の内親王
お美しいことをだれも言う方で、
母君のお后《きさき》が大事にしておいでになる方のことを、
帝のおそばに奉仕している典侍《ないしのすけ》は
先帝の宮廷にいた人で、
后の宮へも親しく出入りしていて、内親王の御幼少時代をも知り、
現在でもほのかにお顔を拝見する機会を多く得ていたから、
帝へお話しした。


「お亡《かく》れになりました御息所の御容貌《ようぼう》に似た方を、
三代も宮廷におりました私すらまだ見たことがございませんでしたのに、
后の宮様の内親王様だけが
あの方に似ていらっしゃいますことにはじめて気がつきました。
非常にお美しい方でございます」

もしそんなことがあったらと大御心《おおみこころ》が動いて、
先帝の后の宮へ姫宮の御入内《ごじゅだい》のことを懇切にお申し入れになった。

 

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