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源氏の童姿を惜しむ帝【源氏物語 10第1帖 桐壷 10】この君の御童姿、 いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。

この君の御童姿、

いと変へまうく思せど、

十二にて御元服したまふ。

居起ち思しいとなみて、

限りある事に事を添へさせたまふ。

一年の春宮の御元服

南殿にてありし儀式、

よそほしかりし御響きに落とさせたまはず。

所々の饗など、

内蔵寮、穀倉院など、公事に仕うまつれる、

おろそかなることもぞと、

とりわき仰せ言ありて、清らを尽くして仕うまつれり。

 

おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、

冠者の御座、引入の大臣の御座、御前にあり。

申の時にて源氏参りたまふ。

角髪結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、

さま変へたまはむこと惜しげなり。

大蔵卿、蔵人仕うまつる。

いと清らなる御髪を削ぐほど、心苦しげなるを、

主上は、

「御息所の見ましかば」と、思し出づるに、

堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。

 

かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、

御衣奉り替へて、

下りて拝したてまつりたまふさまに、

皆人涙落としたまふ。

帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、

思し紛るる折もありつる昔のこと、

とりかへし悲しく思さる。

いとかうきびはなるほどは、

あげ劣りやと疑はしく思されつるを、

あさましううつくしげさ添ひたまへり。

 

引入の大臣の皇女腹にただ一人かしづきたまふ御女、

春宮よりも御けしきあるを、

思しわづらふことありける、

この君に奉らむの御心なりけり。

内裏にも、御けしき賜はらせたまへりければ、

「さらば、この折の後見なかめるを、添ひ臥しにも」

ともよほさせたまひければ、さ思したり。

 

さぶらひにまかでたまひて、

人びと大御酒など参るほど、

親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。

大臣気色ばみきこえたまふことあれど、

もののつつましきほどにて、

ともかくもあへしらひきこえたまはず。

 御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、

大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。

御禄の物、主上命婦取りて賜ふ。

白き大袿に御衣一領、例のことなり。

御盃のついでに、

「いときなき初元結ひに長き世を

 契る心は結びこめつや」

御心ばへありて、おどろかさせたまふ。

「結びつる心も深き元結ひに

 濃き紫の色し褪せずは」

と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。

 左馬寮の御馬、

蔵人所の鷹据ゑて賜はりたまふ。

御階のもとに親王たち上達部つらねて、

禄ども品々に賜はりたまふ。

 その日の御前の折櫃物、籠物など、

右大弁なむ承りて仕うまつらせける。

屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、

春宮の御元服の折にも数まされり。

なかなか限りもなくいかめしうなむ。

 

🪷源氏の君の美しい童形《どうぎょう》

いつまでも変えたくないように帝は思召したのであったが、

いよいよ十二の歳《とし》に元服をおさせになることになった。

その式の準備も何も帝御自身でお指図《さしず》になった。

前に東宮の御元服の式を

紫宸殿《ししんでん》であげられた時の派手やかさに落とさず、

その日官人たちが各階級別々に さずかる饗宴《きょうえん》の仕度を

内蔵寮《くらりょう》、 穀倉院などでするのはつまり公式の仕度で、

それでは十分でないと思召して、

特に仰せがあって、 それらも華麗をきわめたものにされた。

 

清涼殿は東面しているが、

お庭の前のお座敷に玉座の椅子《いす》がすえられ、

元服される皇子の席、 加冠役の大臣の席がそのお前にできていた。

午後四時に源氏の君が参った。

上で二つに分けて耳の所で輪にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、

少年の美

これを永久に保存しておくことが不可能なのであろうかと惜しまれた。

理髪の役は大蔵卿《おおくらきょう》である。

美しい髪を短く切るのを惜しく思うふうであった。

帝は御息所《みやすどころ》がこの式を見たならばと、

昔をお思い出しになることによって

堪えがたくなる悲しみをおさえておいでになった。

 

加冠が終わって、

いったん休息所《きゅうそくじょ》に下がり 、

そこで源氏は服を変えて庭上の拝をした。

参列の諸員は皆小さい大宮人の美に感激の涙をこぼしていた。

帝はまして御自制なされがたい御感情があった。

藤壺の宮をお得になって以来、

紛れておいでになることもあった昔の哀愁が

今一度にお胸へかえって来たのである。

まだ小さくて大人《おとな》の頭の形になることは、

その人の美を損じさせはしないかという御懸念も

おありになったのであるが、

源氏の君には今驚かれるほどの新彩が加わって見えた。

 

加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた令嬢があった。

東宮から後宮にとお望みになったのをお受けせずに

お返辞を躊躇《ちゅうちょ》していたのは、

初めから源氏の君の配偶者に擬していたからである。

大臣は帝の御意向をも伺った。

「それでは元服したのちの彼を世話する人もいることであるから、

 その人をいっしょにさせればよい」

という仰せであったから、

大臣はその実現を期していた。

 

今日の侍所《さむらいどころ》になっている座敷で開かれた酒宴に、

親王方の次の席へ源氏は着いた。

娘の件を大臣がほのめかしても、

きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができないのであった。

帝のお居間のほうから仰せによって

内侍《ないし》が大臣を呼びに来たので、

大臣はすぐに御前へ行った。

加冠役としての下賜品は おそばの命婦が取り次いだ。

白い大袿《おおうちぎ》に 帝のお召し料のお服が一襲《ひとかさね》で、

これは昔から定まった品である。

酒杯を賜わる時に、次の歌を仰せられた。

『いときなき 初元結ひに 長き世を

 契る心は 結びこめつや』

大臣の女《むすめ》との結婚にまでお言い及ぼしになった

御製は大臣を驚かした。

『結びつる 心も深き 元結ひに

 濃き紫の 色しあせずば』  

と返歌を奏上してから大臣は、

清涼殿《せいりょうでん》の

正面の階段《きざはし》を下がって拝礼をした。

左馬寮《さまりょう》の御馬と

蔵人所《くろうどどころ》の鷹《たか》を

その時に賜わった。

そのあとで諸員が階前に出て、

官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。

この日の御|饗宴《きょうえん》の席の折り詰めのお料理、

籠《かご》詰めの菓子などは

皆 右大弁《うだいべん》が御命令によって作った物であった。

一般の官吏に賜う弁当の数、

一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、

東宮の御元服の時以上であった。

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