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靭負の命婦の弔問【源氏物語 4 第一帖 桐壺 4】野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。

🪷限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、

母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、

御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて、

愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、

おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。

 

「むなしき御骸を見る見る、

 なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、

 灰になりたまはむを見たてまつりて、

 今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」

と、さかしうのたまひつれど、

車よりも落ちぬべうまろびたまへば、

さは思ひつかしと、人びともてわづらひきこゆ。

 

内裏より御使あり。

三位の位贈りたまふよし、

勅使来てその宣命読むなむ、

悲しきことなりける。

女御とだに言はせずなりぬるが、

あかず口惜しう思さるれば、

いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。

これにつけても憎みたまふ人びと多かり。

 

もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、

心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、

今ぞ思し出づる。

さま悪しき御もてなしゆゑこそ、

すげなう嫉みたまひしか、

人柄のあはれに情けありし御心を、

主上の女房なども恋ひしのびあへり。

 

なくてぞとは、かかる折にやと見えたり。

はかなく日ごろ過ぎて、

後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。

ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、

御方がたの御宿直なども絶えてしたまはず、

ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、

見たてまつる人さへ露けき秋なり。

 

「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」

とぞ、弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。

一の宮を見たてまつらせたまふにも、

若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、

親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、

ありさまを聞こし召す。

 

野分立ちて、

にはかに肌寒き夕暮のほど、

常よりも思し出づること多くて、

靫負命婦といふを遣はす。

夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、

やがて眺めおはします。

 

かうやうの折は、御遊びなどせさせたまひしに、

心ことなる物の音を掻き鳴らし、

はかなく聞こえ出づる言の葉も、

人よりはことなりしけはひ容貌の、

面影につと添ひて思さるるにも、

闇の現にはなほ劣りけり。

 

命婦、かしこに参で着きて、

門引き入るるより、けはひあはれなり。

やもめ住みなれど、

人一人の御かしづきに、

とかくつくろひ立てて、

めやすきほどにて過ぐしたまひつる、

闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、

野分にいとど荒れたる心地して、

月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる。

南面に下ろして、

母君も、とみにえものものたまはず。

 

🪷どんなに惜しい人でも

遺骸《いがい》は遺骸として扱われねばならぬ、

葬儀が行なわれることになって、

母の未亡人は遺骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。

そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って

愛宕《おたぎ》の野に

いかめしく設けられた式場へ着いた時の未亡人の心は

どんなに悲しかったであろう。

 

「死んだ人を見ながら、

 やはり生きている人のように

 思われてならない私の迷いをさますために

 行く必要があります」

と賢そうに言っていたが、

車から落ちてしまいそうに泣くので、

こんなことになるのを恐れていたと女房たちは思った。

 

宮中からお使いが葬場へ来た。

更衣に三位《さんみ》を贈られたのである。

勅使がその宣命《せんみょう》を読んだ時ほど

未亡人にとって悲しいことはなかった。

三位は女御《にょご》に相当する位階である。

生きていた日に女御とも言わせなかったことが

帝《みかど》には残り多く思召されて贈位を賜わったのである。

こんなことででも 後宮のある人々は反感を持った。

 

同情のある人は故人の美しさ、

性格のなだらかさなどで憎むことのできなかった人であると、

今になって桐壺の更衣《こうい》の真価を思い出していた。

あまりにひどい御殊寵《しゅちょう》ぶりであったから

その当時は嫉妬《しっと》を感じたのであると

それらの人は以前のことを思っていた。

優しい同情深い女性であったのを、

帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。

「なくてぞ人は恋しかりける」

とはこうした場合のことであろうと見えた。

 

時は人の悲しみにかかわりもなく過ぎて

七日七日の仏事が次々に行なわれる、

そのたびに帝からはお弔いの品々が下された。

 

愛した人の死んだのちの日がたっていくにしたがって 

どうしようもない寂しさばかりを 

帝はお覚えになるのであって、

女御、更衣を宿直《とのい》に召されることも絶えてしまった。

ただ涙の中の御朝夕であって、

拝見する人までがしめっぽい心になる秋であった。

 

「死んでからまでも人の気を悪くさせる御寵愛ぶりね」

などと言って、

右大臣の娘の弘徽殿《こきでん》の女御《にょご》などは

今さえも嫉妬を捨てなかった。

 

帝は一の皇子を御覧になっても

更衣の忘れがたみの皇子の恋しさばかりをお覚えになって、

親しい女官や、御自身のお乳母《めのと》などを

その家へおつかわしになって若宮の様子を報告させておいでになった。

 

野分《のわき》ふうに風が出て

肌寒《はださむ》の覚えられる日の夕方に、

平生よりもいっそう故人がお思われになって、

靫負《ゆげい》の命婦《みょうぶ》という人を使いとしてお出しになった。

夕月夜の美しい時刻に命婦を出かけさせて、

そのまま深い物思いをしておいでになった。

 

以前にこうした月夜は音楽の遊びが行なわれて、

更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せた。

またそんな夜に詠む歌なども平凡ではなかった。

彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。

しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。

 

命婦は故大納言《だいなごん》家に着いて

車が門から中へ引き入れられた刹那《せつな》から

もう言いようのない寂しさが味わわれた。

未亡人の家であるが、

一人娘のために

住居《すまい》の外見などにもみすぼらしさがないようにと、

りっぱな体裁を保って暮らしていたのであるが、

子を失った女主人《おんなあるじ》の

無明《むみょう》の日が続くようになってからは、

しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。

またこのごろの野分の風で

いっそう邸内が荒れた気のするのであったが、

月光だけは

伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に

命婦を招じて出て来た女主人は

すぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。

 

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