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源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

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源氏は、姫君が 按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であると知る。藤壺の宮の姪になる【源氏物語 62 第5帖 若紫 6】

「かの大納言の御女、

 ものしたまふと聞きたまへしは。

 好き好きしき方にはあらで、

 まめやかに聞こゆるなり」

と、推し当てにのたまへば、

「女ただ一人はべりし。

 亡せて、この十余年にやなりはべりぬらむ。

 故大納言、内裏にたてまつらむなど、

 かしこういつきはべりしを、

 その本意のごとくもものしはべらで、

 過ぎはべりにしかば、

 ただこの尼君一人もてあつかひはべりしほどに、

 いかなる人のしわざにか、兵部卿宮なむ、

 忍びて語らひつきたまへりけるを、

 本の北の方、やむごとなくなどして、

 安からぬこと多くて、

 明け暮れ物を思ひてなむ、

 亡くなりはべりにし。

 物思ひに病づくものと、

 目に近く見たまへし」

など申したまふ。

「さらば、その子なりけり」

と思しあはせつ。

 

親王の御筋にて、

 かの人にもかよひきこえたるにや」と、

いとどあはれに見まほし。

「人のほどもあてにをかしう、

 なかなかのさかしら心なく、

 うち語らひて、

 心のままに教へ生ほし立てて見ばや」

と思す。

 

「いとあはれにものしたまふことかな。

 それは、とどめたまふ形見もなきか」

と、幼かりつる行方の、

なほ確かに知らまほしくて、

問ひたまへば、

 

「亡くなりはべりしほどにこそ、

 はべりしか。それも、女にてぞ。

 それにつけて物思ひのもよほしになむ、

 齢の末に思ひたまへ嘆きはべるめる」

と聞こえたまふ。

「さればよ」

と思さる。

 

「あやしきことなれど、

 幼き御後見に思すべく、

 聞こえたまひてむや。

 思ふ心ありて、

 行きかかづらふ方もはべりながら、

 世に心の染まぬにやあらむ、

 独り住みにてのみなむ。

 まだ似げなきほどと常の人に思しなずらへて、

 はしたなくや」

などのたまへば、

 

「いとうれしかるべき仰せ言なるを、

 まだむげにいはきなきほどにはべるめれば、

 たはぶれにても、御覧じがたくや。

 そもそも、女人は、

 人にもてなされて大人にもなりたまふものなれば、

 詳しくはえとり申さず、

 かの祖母に語らひはべりて聞こえさせむ」

と、すくよかに言ひて、

ものごはきさましたまへれば、

若き御心に恥づかしくて、

えよくも聞こえたまはず。

 

阿弥陀仏ものしたまふ堂に、

 することはべるころになむ。

 初夜、いまだ勤めはべらず。

 過ぐしてさぶらはむ」

とて、上りたまひぬ。

 

君は、心地もいと悩ましきに、

雨すこしうちそそき、

山風ひややかに吹きたるに、

滝のよどみもまさりて、

音高う聞こゆ。

すこしねぶたげなる読経の

絶え絶えすごく聞こゆるなど、

すずろなる人も、

所からものあはれなり。

まして、思しめぐらすこと多くて、

まどろませたまはず。

初夜と言ひしかども、

夜もいたう更けにけり。

 

「その大納言にお嬢さんがおありになるということでしたが、

 それはどうなすったのですか。

 私は好色から伺うのじゃありません、

 まじめにお尋ね申し上げるのです」

少女は大納言の遺子であろうと想像して源氏が言うと、

「ただ一人娘がございました。

 亡くなりましてもう十年余りになりますでしょうか、

 大納言は宮中へ入れたいように申して、

 非常に大事にして育てていたのですがそのままで死にますし、

 未亡人が一人で育てていますうちに、

 だれがお手引きをしたのか兵部卿《ひょうぶきょう》の宮が

 通っていらっしゃるようになりまして、

 それを宮の御本妻はなかなか権力のある夫人で、

 やかましくお言いになって、

 私の姪《めい》はそんなことからいろいろ苦労が多くて、

 物思いばかりをしたあげく亡くなりました。

 物思いで病気が出るものであることを私は姪を見てよくわかりました」

などと僧都は語った。

それではあの少女は、

昔の按察使大納言の姫君と兵部卿の宮の間にできた子であるに違いないと

源氏は悟ったのである。

 

藤壺の宮の兄君の子であるがために

その人に似ているのであろうと思うと

いっそう心の惹《ひ》かれるのを覚えた。

身分のきわめてよいのがうれしい、

愛する者を信じようとせずに疑いの多い女でなく、

無邪気な子供を、

自分が未来の妻として教養を与えていくことは楽しいことであろう、

それを直ちに実行したいという心に源氏はなった。

 

「お気の毒なお話ですね。

 その方には忘れ形見がなかったのですか」

なお明確に少女のだれであるかを知ろうとして源氏は言うのである。

「亡くなりますころに生まれました。それも女です。

 その子供が姉の信仰生活を静かにさせません。

 姉は年を取ってから

 一人の孫娘の将来ばかりを心配して暮らしております」

聞いている話に、夕方見た尼君の涙を源氏は思い合わせた。

 

「妙なことを言い出すようですが、私にその小さいお嬢さんを、

託していただけないかとお話ししてくださいませんか。

私は妻について一つの理想がありまして、

ただ今結婚はしていますが、

普通の夫婦生活なるものは私に重荷に思えまして、

まあ独身もののような暮らし方ばかりをしているのです。

まだ年がつり合わぬなどと常識的に判断をなすって、

失礼な申し出だと思召《おぼしめ》すでしょうか」

と源氏は言った。

 

「それは非常に結構なことでございますが、

 まだまだとても幼稚なものでございますから、

 仮にもお手もとへなど迎えていただけるものではありません。

 まあ女というものは 夫のよい指導を得て

 一人前になるものなのですから、

 あながち早過ぎるお話とも何とも私は申されません。

 子供の祖母と相談をいたしまして

 お返辞をするといたしましょう」

 こんなふうにてきぱき言う人が 僧

形の厳《いか》めしい人であるだけ、

若い源氏には恥ずかしくて、

望んでいることをなお続けて言うことができなかった。

 

阿弥陀《あみだ》様がいらっしゃる堂で

 用事のある時刻になりました。

 初夜の勤めがまだしてございません。済ませましてまた」

こう言って僧都は御堂《みどう》のほうへ行った。

 

病後の源氏は気分もすぐれなかった。

雨がすこし降り冷ややかな山風が吹いて

そのころから滝の音も強くなったように聞かれた。

そしてやや眠そうな読経《どきょう》の声が絶え絶えに響いてくる、

こうした山の夜はどんな人にも物悲しく寂しいものであるが、

まして源氏はいろいろな思いに悩んでいて、

眠ることはできないのであった。

初夜だと言ったが実際はその時刻よりも更《ふ》けていた。

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