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源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

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【源氏物語70 第五帖 若紫13】懐妊した藤壺を寵愛する桐壺帝。秋の末、源氏は 女王の祖母、按察使大納言の北の方の屋敷を訪問する。尼君は病気で弱っている。

【🪷古文】

七月になりてぞ参りたまひける。

めづらしうあはれにて、

いとどしき御思ひのほど限りなし。

すこしふくらかになりたまひて、

うちなやみ、面痩せたまへる、

はた、げに似るものなくめでたし。

 

例の、明け暮れ、こなたにのみおはしまして、

御遊びもやうやうをかしき空なれば、

源氏の君も暇なく召しまつはしつつ、

御琴、笛など、さまざまに仕うまつらせたまふ。

 

いみじうつつみたまへど、

忍びがたき気色の漏り出づる折々、

宮も、さすがなる事どもを多く思し続けけり。

 

かの山寺の人は、

よろしくなりて出でたまひにけり。

京の御住処尋ねて、時々の御消息などあり。

同じさまにのみあるも道理なるうちに、

この月ごろは、ありしにまさる物思ひに、

異事なくて過ぎゆく。

 

秋の末つ方、

いともの心細くて嘆きたまふ。

月のをかしき夜、

忍びたる所にからうして思ひ立ちたまへるを、

時雨めいてうちそそく。

おはする所は六条京極わたりにて、

内裏よりなれば、すこしほど遠き心地するに、

荒れたる家の木立いともの古りて木暗く見えたるあり。

例の御供に離れぬ惟光なむ、

「故按察使大納言の家にはべりて、

 もののたよりにとぶらひてはべりしかば、

 かの尼上、いたう弱りたまひにたれば、

 何ごともおぼえず、となむ申してはべりし」

と聞こゆれば、

 

「あはれのことや。とぶらふべかりけるを。

 などか、さなむとものせざりし。

 入りて消息せよ」

とのたまへば、人入れて案内せさす。

 

わざとかう立ち寄りたまへることと言はせたれば、

入りて、

「かく御とぶらひになむおはしましたる」

と言ふに、おどろきて、

「いとかたはらいたきことかな。

 この日ごろ、

 むげにいと頼もしげなくならせたまひにたれば、

 御対面などもあるまじ」

と言へども、帰したてまつらむはかしこしとて、

南の廂ひきつくろひて、入れたてまつる。

 

「いとむつかしげにはべれど、

 かしこまりをだにとて。ゆくりなう、

 もの深き御座所になむ」

と聞こゆ。

 

げにかかる所は、例に違ひて思さる。

「常に思ひたまへ立ちながら、

 かひなきさまにのみもてなさせたまふに、

 つつまれはべりてなむ。

 悩ませたまふこと、重くとも、

 うけたまはらざりけるおぼつかなさ」

など聞こえたまふ。

 

【🪷現代文】

初秋の七月になって宮は御所へおはいりになった。

最愛の方が懐妊されたのであるから、

帝のお志はますます藤壺の宮にそそがれるばかりであった。

少しお腹《なか》がふっくりとなって

悪阻《つわり》の悩みに

顔の少しお痩せになった宮のお美しさは、

前よりも増したのではないかと見えた。

 

以前もそうであったように

帝は明け暮れ藤壺にばかり来ておいでになって、

もう音楽の遊びをするのにも適した季節にもなっていたから、

源氏の中将をも始終そこへお呼び出しになって、

琴や笛の役をお命じになった。

 

物思わしさを源氏は極力おさえていたが、

時々には忍びがたい様子もうかがわれるのを、

宮もお感じになって、

さすがにその人にまつわるものの

愁《うれ》わしさをお覚えになった。

 

北山へ養生に行っていた按察使《あぜち》大納言の未亡人は

病が快《よ》くなって京へ帰って来ていた。

源氏は惟光などに京の家を訪ねさせて 時々手紙などを送っていた。

先方の態度は春も今も変わったところがないのである。

それも道理に思えることであったし、またこの数月間というものは、

過去の幾年間にもまさった恋の煩悶《はんもん》が源氏にあって、

ほかのことは何一つ熱心にしようとは思われないのでもあったりして、

より以上積極性を帯びていくようでもなかった。

 

秋の末になって、

恋する源氏は心細さを人よりも深くしみじみと味わっていた。

ある月夜にある女の所を訪ねる気にやっとなった源氏が

出かけようとするとさっと時雨《しぐれ》がした。

源氏の行く所は六条の京極辺であったから、

御所から出て来たのではやや遠い気がする。

荒れた家の庭の木立ちが大家《たいけ》らしく

深いその土塀の外を通る時に、

例の傍去《そばさ》らずの惟光が言った。

「これが前の按察使大納言の家でございます。

 先日ちょっとこの近くへ来ました時に寄ってみますと、

 あの尼さんからは、

 病気に弱ってしまっていまして、

 何も考えられませんという挨拶がありました」

 

「気の毒だね。見舞いに行くのだった。

 なぜその時にそう言ってくれなかったのだ。

 ちょっと私が訪問に来たがと言ってやれ」

源氏がこう言うので惟光は従者の一人をやった。

 

この訪問が目的で来たと最初言わせたので、

そのあとでまた惟光がはいって行って、

「主人が自身でお見舞いにおいでになりました」

と言った。

大納言家では驚いた。

「困りましたね。

 近ごろは以前よりもずっと弱っていらっしゃるから、

 お逢いにはなれないでしょうが、

 お断わりするのはもったいないことですから」

などと女房は言って、

南向きの縁座敷をきれいにして源氏を迎えたのである。

 

「見苦しい所でございますが、

 せめて御厚志のお礼を申し上げませんではと存じまして、

 思召《おぼしめ》しでもございませんでしょうが、

 こんな部屋などにお通しいたしまして」

という挨拶を家の者がした。

 

そのとおりで、意外な所へ来ているという気が源氏にはした。

「いつも御訪問をしたく思っているのでしたが、

 私のお願いを

 とっぴなものか何かのように こちらではお扱いになるので、

 きまりが悪かったのです。

 それで自然御病気もこんなに進んでいることを知りませんでした」

と源氏が言った。

 

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