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源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

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【源氏物語71 第五帖 若紫14】都に戻った尼君のお見舞いに行く。源氏のところに女王が姿を現す。子どもらしく愛らしい。藤壺への恋心がつのり 縁故である上を引き取りたいという望みが膨らんでいく。

【🪷古文】

「乱り心地は、いつともなくのみはべるが、

 限りのさまになりはべりて、いとかたじけなく、

 立ち寄らせたまへるに、みづから聞こえさせぬこと。

 のたまはすることの筋、

 たまさかにも思し召し変はらぬやうはべらば、

 かくわりなき齢過ぎはべりて、

 かならず数まへさせたまへ。

 いみじう心細げに見たまへ置くなむ、

 願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき」

など聞こえたまへり。

いと近ければ、心細げなる御声絶え絶え聞こえて、

 

「いと、かたじけなきわざにもはべるかな。

 この君だに、

 かしこまりも聞こえたまつべきほどならましかば」

 とのたまふ。

あはれに聞きたまひて、

「何か、浅う思ひたまへむことゆゑ、

 かう好き好きしきさまを見えたてまつらむ。

 いかなる契りにか、見たてまつりそめしより、

 あはれに思ひきこゆるも、あやしきまで、

 この世のことにはおぼえはべらぬ」

などのたまひて、

「かひなき心地のみしはべるを、

 かのいはけなうものしたまふ御一声、いかで」

とのたまへば、

 

「いでや、よろづ思し知らぬさまに、大殿籠もり入りて」

など聞こゆる折しも、あなたより来る音して、

「上こそ、

 この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。

 など見たまはぬ」

 とのたまふを、

人びと、いとかたはらいたしと思ひて、

「あなかま」と聞こゆ。

 

「いさ、『見しかば心地の悪しさなぐさみき』

 とのたまひしかばぞかし」

と、かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ。

いとをかしと聞いたまへど、

人びとの苦しと思ひたれば、

聞かぬやうにて、

まめやかなる御とぶらひを聞こえ置きたまひて、

帰りたまひぬ。

 

「げに、言ふかひなのけはひや。

 さりとも、いとよう教へてむ」

と思す。

またの日も、いとまめやかにとぶらひきこえたまふ。

例の、小さくて、

「いはけなき鶴の一声聞きしより

 葦間になづむ舟ぞえならぬ

 同じ人にや」

と、ことさら幼く書きなしたまへるも、

いみじうをかしげなれば、

「やがて御手本に」と、

人びと聞こゆ。

 

少納言ぞ聞こえたる。

「問はせたまへるは、

 今日をも過ぐしがたげなるさまにて、

 山寺にまかりわたるほどにて。

 かう問はせたまへるかしこまりは、

 この世ならでも聞こえさせむ」

とあり。

いとあはれと思す。

 

秋の夕べは、まして、

心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて、

あながちなるゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし。

 

「消えむ空なき」

とありし夕べ思し出でられて、恋しくも、

また、見ば劣りやせむと、さすがにあやふし。

「手に摘みていつしかも見む紫の

 根にかよひける野辺の若草」

 

【🪷現代文】

「私は病気であることが今では普通なようになっております。

 しかしもうこの命の終わりに近づきましたおりから、

 かたじけないお見舞いを受けました喜びを

 自分で申し上げません失礼をお許しくださいませ。

 あの話は今後もお忘れになりませんでしたら、

 もう少し年のゆきました時にお願いいたします。

 一人ぼっちになりますあの子に残る心が、

 私の参ります道の障《さわ》りになることかと思われます」

取り次ぎの人に尼君が言いつけている言葉が隣室であったから、

その心細そうな声も絶え絶え聞こえてくるのである。

 

「失礼なことでございます。

 孫がせめて

 お礼を申し上げる年になっておれば よろしいのでございますのに」 

とも言う。

 

源氏は哀れに思って聞いていた。

「今さらそんな御挨拶《ごあいさつ》はなさらないでください。

 通り一遍な考えでしたなら、

 風変わりな酔狂者《すいきょうもの》と

 誤解されるのも構わずに、こんな御相談は続けません。

 どんな前生の因縁でしょうか、

 女王さんをちょっとお見かけいたしました時から、

 女王さんのことを

 どうしても忘れられないようなことになりましたのも

 不思議なほどで、

 どうしてもこの世界だけのことでない、

 約束事としか思われません」

などと源氏は言って、

また、

「自分を理解していただけない点で私は苦しんでおります。

 あの小さい方が何か一言お言いになるのを伺えればと思うのですが」

と望んだ。

 

「それは姫君は何もご存じなしに、

 もうお寝《やす》みになっていまして」

女房がこんなふうに言っている時に、

向こうからこの隣室へ来る足音がして、

「お祖母《ばあ》様、

 あのお寺にいらっしった源氏の君が来ていらっしゃるのですよ。

 なぜ御覧にならないの」

と女王は言った。

女房たちは困ってしまった。

「静かにあそばせよ」 と言っていた。

 

「でも源氏の君を見たので 病気がよくなったと言っていらしたからよ」

自分の覚えているそのことが役に立つ時だと女王は考えている。

源氏はおもしろく思って聞いていたが、

女房たちの困りきったふうが気の毒になって、

聞かない顔をして、まじめな見舞いの言葉を残して去った。

 

子供らしい子供らしいというのはほんとうだ、

けれども自分はよく教えていける気がすると源氏は思ったのであった。

翌日もまた源氏は尼君へ丁寧に見舞いを書いて送った。

例のように小さくしたほうの手紙には、

『いはけなき 鶴《たづ》の一声聞きしより

 葦間《あしま》になづむ 船ぞえならぬ』

いつまでも一人の人を対象にして考えているのですよ。

わざわざ子供にも読めるふうに書いた源氏のこの手紙の字も

みごとなものであったから、

そのまま姫君の習字の手本にしたらいいと女房らは言った。

 

源氏の所へ少納言が返事を書いてよこした。

お見舞いくださいました本人は、 今日も危いようでございまして、

ただ今から皆で山の寺へ移ってまいるところでございます。

かたじけないお見舞いのお礼は

この世界で果たしませんでもまた申し上げる時がございましょう。

というのである。

秋の夕べはまして人の恋しさがつのって、

せめてその人に縁故のある少女を得られるなら得たいという望みが

濃くなっていくばかりの源氏であった。

 

「消えん空なき」と尼君の歌った晩春の山の夕べに見た面影が

思い出されて恋しいとともに、

引き取って幻滅を感じるのではないかと

危《あや》ぶむ心も源氏にはあった。

『手に摘みて いつしかも見ん 紫の根に

 通ひける 野辺《のべ》の若草』

 このころの源氏の歌である。

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