「もし、見たまへ得ることもやはべると、
はかなきついで作り出でて、
消息など遣はしたりき。
書き馴れたる手して、口とく返り事などしはべりき。
いと口惜しうはあらぬ若人どもなむはべるめる」
と聞こゆれば、
「なほ言ひ寄れ。尋ね寄らでは、さうざうしかりなむ」
とのたまふ。
かの、下が下と、
人の思ひ捨てし住まひなれど、
その中にも、
思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、
めづらしく思ほすなりけり。
さて、かの空蝉のあさましくつれなきを、
この世の人には違ひて思すに、
おいらかならましかば、
心苦しき過ちにてもやみぬべきを、
いとねたく、負けてやみなむを、
心にかからぬ折なし。
かやうの並々までは思ほしかからざりつるを、
ありし「雨夜の品定め」の後、
いぶかしく思ほしなる品々あるに、
いとど隈なくなりぬる御心なめりかし。
うらもなく待ちきこえ顔なる片つ方人を、
あはれと思さぬにしもあらねど、
つれなくて聞きゐたらむことの恥づかしければ、
「まづ、こなたの心見果てて」
と思すほどに、
伊予介上りぬ。
まづ急ぎ参れり。
舟路のしわざとて、
すこし黒みやつれたる旅姿、
いとふつつかに心づきなし。
されど、
人もいやしからぬ筋に、
容貌などねびたれど、きよげにて、
ただならず、
気色よしづきてなどぞありける。
国の物語など申すに、
「湯桁はいくつ」と、
問はまほしく思せど、
あいなくまばゆくて、
御心のうちに思し出づることもさまざまなり。
「ものまめやかなる大人を、かく思ふも、
げにをこがましく、
うしろめたきわざなりや。
げに、これぞ、
なのめならぬ片はなべかりける」
と、馬頭の諌め思し出でて、いとほしきに、
「つれなき心はねたけれど、
人のためは、あはれ」
と思しなさる。
「娘をばさるべき人に預けて、
北の方をば率て下りぬべし」
と、聞きたまふに、
ひとかたならず心あわたたしくて、
「今一度はえあるまじきことにや」と、
小君を語らひたまへど、
人の心を合せたらむことにてだに、
軽らかにえしも紛れたまふまじきを、
まして、
似げなきことに思ひて、
今さらに見苦しかるべし、
と思ひ離れたり。
さすがに、
絶えて思ほし忘れなむことも、
いと言ふかひなく、
憂かるべきことに思ひて、
さるべき折々の御答へなど、
なつかしく聞こえつつ、
なげの筆づかひにつけたる言の葉、
あやしくらうたげに、
目とまるべきふし加へなどして、
あはれと思しぬべき人のけはひなれば、
つれなくねたきものの、
忘れがたきに思す。
いま一方は、
主強くなるとも、
変らずうちとけぬべく見えしさまなるを頼みて、
とかく聞きたまへど、
御心も動かずぞありける。
秋にもなりぬ。
人やりならず、
心づくしに思し乱るることどもありて、
大殿には、絶え間置きつつ、
恨めしくのみ思ひ聞こえたまへり。
六条わたりにも、
とけがたかりし御気色をおもむけ聞こえたまひて後、
ひき返し、
なのめならむはいとほしかし。
されど、よそなりし御心惑ひのやうに、
あながちなる事はなきも、
いかなることにかと見えたり。
女は、
いとものをあまりなるまで、
思ししめたる御心ざまにて、
齢のほども似げなく、
人の漏り聞かむに、
いとどかくつらき御夜がれの寝覚め寝覚め、
思ししをるること、
いとさまざまなり。
「そんなことから隣の家の内の秘密が
わからないものでもないと思いまして、
ちょっとした機会をとらえて隣の女へ手紙をやってみました。
するとすぐに書き馴《な》れた達者な字で返事がまいりました、
相当によい若い女房もいるらしいのです」
「おまえは、なお どしどし恋の手紙を送ってやるのだね。
それがよい。
その人の正体が知れないではなんだか安心ができない」
と源氏が言った。
家は下《げ》の下《げ》に属するものと
品定《しなさだ》めの人たちに言われるはずの所でも、
そんな所から意外な趣のある女を見つけ出すことがあれば
うれしいに違いないと源氏は思うのである。
源氏は空蝉《うつせみ》の極端な冷淡さを
この世の女の心とは思われないと考えると、
あの女が言うままになる女であったなら、
気の毒な過失をさせたということだけで、
もう過去へ葬ってしまったかもしれないが、
強い態度を取り続けられるために、
負けたくないと反抗心が起こるのであるとこんなふうに思われて、
その人を忘れている時は少ないのである。
これまでは空蝉階級の女が
源氏の心を引くようなこともなかったが、
あの雨夜の品定めを聞いて以来
好奇心はあらゆるものに動いて行った。
何の疑いも持たずに
一夜の男を思っているもう一人の女を
憐《あわれ》まないのではないが、
冷静にしている空蝉にそれが知れるのを、
恥ずかしく思って、
いよいよ望みのないことのわかる日まではと思って
それきりにしてあるのであったが、
そこへ伊予介《いよのすけ》が上京して来た。
そして真先《まっさき》に源氏の所へ伺候した。
長い旅をして来たせいで、
色が黒くなりやつれた伊予の長官は
見栄も何もなかった。
しかし家柄もいいものであったし、
顔だちなどに老いてもなお整ったところがあって 、
どこか上品なところのある地方官とは見えた。
任地の話などをしだすので、
湯の郡《こおり》の温泉話も聞きたい気はあったが、
何ゆえとなしにこの人を見るときまりが悪くなって、
源氏の心に浮かんでくることは数々の罪の思い出であった。
まじめな生一本《きいっぽん》の男と対《むか》っていて、
やましい暗い心を抱くとはけしからぬことである。
人妻に恋をして三角関係を作る男の愚かさを
左馬頭《さまのかみ》の言ったのは真理であると思うと、
源氏は自分に対して空蝉の冷淡なのは恨めしいが、
この夫のためには尊敬すべき態度であると 思うようになった。
伊予介が娘を結婚させて、
今度は細君を同伴して行くという噂《うわさ》は、
二つとも源氏が無関心で聞いていられないことだった。
恋人が遠国へつれられて行くと聞いては、
再会を気長に待っていられなくなって、
もう一度だけ逢《あ》うことはできぬかと、
小君《こぎみ》を味方にして空蝉に接近する策を講じたが、
そんな機会を作るということは
相手の女も
同じ目的を持っている場合だっても困難なのであるのに、
空蝉のほうでは源氏と恋をすることの不似合いを、
思い過ぎるほどに思っていたのであるから、
この上罪を重ねようとはしないのであって、
とうてい源氏の思うようにはならないのである。
空蝉はそれでも自分が全然源氏から忘れられるのも
非常に悲しいことだと思って、
おりおりの手紙の返事などに優しい心を見せていた。
なんでもなく書く簡単な文字の中に
可憐な心が混じっていたり、
芸術的な文章を書いたりして
源氏の心を惹くものがあったから、
冷淡な恨めしい人であって、
しかも忘れられない女になっていた。
もう一人の女は他人と結婚をしても
思いどおりに動かしうる女だと思っていたから、
いろいろな噂を聞いても源氏は何とも思わなかった。
秋になった。
このごろの源氏は
ある発展を遂げた初恋のその続きの苦悶の中にいて、
自然 左大臣家へ通うことも
途絶えがちになって恨めしがられていた。
六条の貴女《きじょ》との関係も、
その恋を得る以前ほどの熱を
また持つことのできない悩みがあった。
自分の態度によって
女の名誉が傷つくことになってはならないと思うが、
夢中になるほど
その人の恋しかった心と今の心とは、
多少|懸隔《へだたり》のあるものだった。
六条の貴女はあまりにものを思い込む性質だった。
💠少納言チャンネルは、聴く古典動画を作っております。ぜひチャンネル登録お願いします🌷
少納言のホームページ 源氏物語&古典 syounagon-web ぜひご覧ください🪷
https://syounagon-web-1.jimdosite.com