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源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

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【源氏物語 1 第一帖 桐壺1】💠光源氏の父君、母君 桐壺帝と桐壺の更衣の美しくも哀しい愛

 

源氏物語 桐壺 壱】現代語訳🌸 源氏物語の朗読です。

リラックスしたい方、日本について学びたい方 におすすめです。

どの天皇様の御代《みよ》であったか、

女御《にょご》とか更衣《こうい》とかいわれる後宮《こうきゅう》がおおぜいいた中に、

最上の貴族出身ではないが深い御愛寵《あいちょう》を得ている人があった。

最初から自分こそはという自信と、

親兄弟の勢力に恃《たの》む所があって

宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。

 

その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちは

まして嫉妬《しっと》の焔《ほのお》を燃やさないわけもなかった。

夜の御殿《おとど》の宿直所《とのいどころ》から退《さが》る朝、

続いてその人ばかりが召される夜、

目に見耳に聞いて口惜《くちお》しがらせた恨みのせいもあったかからだが弱くなって、

心細くなった更衣は多く実家へ下がっていがちということになると、

いよいよ帝《みかど》はこの人にばかり心をお引かれになるという御様子で、

人が何と批評をしようともそれに御遠慮などというものがおできにならない。

 

御聖徳を伝える歴史の上にも

暗い影の一所残るようなことにもなりかねない状態になった。

 

高官たちも殿上役人たちも困って、

御覚醒《かくせい》になるのを期しながら、

当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの

御寵愛《ちょうあい》ぶりであった。

 

唐の国でもこの種類の寵姫《ちょうき》、

楊家《ようか》の女《じょ》の出現によって

乱が醸《かも》されたなどと蔭《かげ》ではいわれる。

今やこの女性が一天下の煩《わざわ》いだとされるに至った。

馬嵬《ばかい》の駅がいつ再現されるかもしれぬ。

その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、

ただ深い御愛情だけをたよりにして暮らしていた。

父の大納言《だいなごん》はもう故人であった。

母の未亡人が生まれのよい見識のある女で、

わが娘を現代に勢力のある派手《はで》な家の娘たちに

ひけをとらせないよき保護者たりえた。

それでも大官の後援者を持たぬ更衣は、

何かの場合にいつも心細い思いをするようだった。

 

 前生《ぜんしょう》の縁が深かったか、

またもないような美しい皇子までがこの人からお生まれになった。

寵姫を母とした御子《みこ》を早く御覧になりたい思召《おぼしめ》しから、

正規の日数が立つとすぐに更衣|母子《おやこ》を宮中へお招きになった。

小皇子《しょうおうじ》は

いかなる美なるものよりも美しいお顔をしておいでになった。

帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、

重い外戚《がいせき》が背景になっていて、

疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、

第二の皇子の美貌《びぼう》にならぶことがおできにならぬため、

それは皇家《おうけ》の長子として大事にあそばされ、

これは御自身の愛子《あいし》として非常に大事がっておいでになった。

 

🌸源氏物語 第一帖 💠桐壺(桐壺)】

【The Tale of Genji 1💠Kiritsubo(The Paulownia Court)】

光源氏の誕生から12歳までを描く。 どの帝の御代であったか、それほど高い身分ではない方で、帝(桐壺帝)から大変な寵愛を受けた女性(桐壺更衣)がいた。 二人の間には輝くように美しい皇子が生まれたが、他の妃たちの嫉妬や嫌がらせが原因か病気がちだった更衣は、3歳の皇子を残して病死する

 

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