光る源氏、名のみことことしう、
言ひ消たれたまふ咎多かなるに、
いとど、かかる好きごとどもを、
末の世にも聞き伝へて、軽びたる名をや流さむと、
忍びたまひける隠ろへごとをさへ、
語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。
さるは、いといたく世を憚り、
まめだちたまひけるほど、
なよびかにをかしきことはなくて、
交野少将には笑はれたまひけむかし。
まだ中将などにものしたまひし時は、
内裏にのみさぶらひようしたまひて、
大殿には絶え絶えまかでたまふ。
忍ぶの乱れやと、
疑ひきこゆることもありしかど、
さしもあだめき目馴れたるうちつけの好き好きしさなどは
好ましからぬ御本性にて、
まれには、あながちに引き違へ心尽くしなることを、
御心に思しとどむる癖なむ、あやにくにて、
さるまじき御振る舞ひもうち混じりける。
長雨晴れ間なきころ、内裏の御物忌さし続きて、
いとど長居さぶらひたまふを、
大殿にはおぼつかなく恨めしく思したれど、
よろづの御よそひ何くれとめづらしきさまに調じ出でたまひつつ、
御息子の君たちただこの御宿直所の宮仕へを勤めたまふ。
宮腹の中将は、なかに親しく馴れきこえたまひて、
遊び戯れをも人よりは心安く、なれなれしく振る舞ひたり。
右の大臣のいたはりかしづきたまふ住み処は、
この君もいともの憂くして、
好きがましきあだ人なり。
里にても、わが方のしつらひまばゆくして、
君の出で入りしたまふにうち連れきこえたまひつつ、
夜昼、学問をも遊びをももろともにして、
をさをさ立ちおくれず、
いづくにてもまつはれきこえたまふほどに、
おのづからかしこまりもえおかず、
心のうちに思ふことをも隠しあへずなむ、
睦れきこえたまひける。
つれづれと降り暮らして、しめやかなる宵の雨に、
殿上にもをさをさ人少なに、
御宿直所も例よりはのどやかなる心地するに、
大殿油近くて書どもなど見たまふ。
近き御厨子なる色々の紙なる文どもを引き出でて、
中将わりなくゆかしがれば、
「さりぬべき、すこしは見せむ。
かたはなるべきもこそ」
と、許したまはねば、
頭中将
「そのうちとけてかたはらいたしと思されむこそゆかしけれ。
おしなべたるおほかたのは、数ならねど、
程々につけて、書き交はしつつも見はべりなむ。
おのがじし、恨めしき折々、
待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、
見所はあらめ」
と怨ずれば、
やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、
かやうにおほぞうなる御厨子などに
うち置き散らしたまふべくもあらず、
深くとり置きたまふべかめれば、
二の町の心安きなるべし。
片端づつ見るに、
「かくさまざまなる物どもこそはべりけれ」
とて、心あてに
「それか、かれか」
など問ふなかに、言ひ当つるもあり、
もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふも、
をかしと思せど、言少なにてとかく紛らはしつつ、
とり隠したまひつ。
🌷光源氏《ひかるげんじ》すばらしい名で、
青春を盛り上げてできたような人が思われる。
自然奔放な好色生活が想像される。
しかし実際はそれよりずっと質素《じみ》な心持ちの青年であった。
その上恋愛という一つのことで 後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、
異性との交渉をずいぶん内輪にしていたのであるが、
ここに書く話のような事が伝わっているのは
世間がおしゃべりであるからなのだ。
自重してまじめなふうの源氏は恋愛風流などには遠かった。
好色小説の中の交野《かたの》の少将などには
笑われていたであろうと思われる。
中将時代には おもに宮中の宿直所《とのいどころ》に暮らして、
時たまにしか舅《しゅうと》の左大臣家へ行かないので、
別に恋人を持っているかのような疑いを受けていたが、
この人は世間にざらにあるような好色男の生活はきらいであった。
まれには風変わりな恋をして、
たやすい相手でない人に心を打ち込んだりする欠点はあった。
梅雨《つゆ》のころ、
帝《みかど》の御謹慎日が幾日かあって、
近臣は家へも帰らずに皆|宿直《とのい》する、
こんな日が続いて、 例のとおりに源氏の御所住まいが長くなった。
大臣家ではこうして途絶えの多い婿君を 恨めしくは思っていたが、
やはり衣服その他|贅沢を尽くした新調品を
御所の桐壺《きりつぼ》へ運ぶのに倦《う》むことを知らなんだ。
左大臣の子息たちは宮中の御用をするよりも、
源氏の宿直所への勤めのほうが大事なふうだった。
そのうちでも宮様腹の中将は最も源氏と親しくなっていて、
遊戯をするにも何をするにも他の者の及ばない親交ぶりを見せた。
大事がる舅の右大臣家へ行くことはこの人もきらいで、
恋の遊びのほうが好きだった。
結婚した男はだれも妻の家で生活するが、
この人はまだ親の家のほうに
りっぱに飾った居間や書斎を持っていて、
源氏が行く時には必ずついて行って、
夜も、昼も、学問をするのも、遊ぶのもいっしょにしていた。
謙遜もせず、
敬意を表することも忘れるほどぴったりと仲よしになっていた。
五月雨《さみだれ》がその日も朝から降っていた夕方、
殿上役人の詰め所もあまり人影がなく、
源氏の桐壺も平生より静かな気のする時に、
灯《ひ》を近くともしていろいろな書物を見ていると、
その本を取り出した置き棚《だな》にあった、
それぞれ違った色の紙に書かれた手紙の殻《から》の内容を
頭中将《とうのちゅうじょう》は見たがった。
「無難なのを少しは見せてもいい。見苦しいのがありますから」
と源氏は言っていた。
「見苦しくないかと気になさるのを見せていただきたいのですよ。
平凡な女の手紙なら、
私には私相当に書いてよこされるのがありますからいいんです。
特色のある手紙ですね、 怨みを言っているとか、
ある夕方に来てほしそうに書いて来る手紙、
そんなのを拝見できたらおもしろいだろうと思うのです」
と恨まれて、 初めからほんとうに秘密な大事の手紙などは、
だれが盗んで行くか知れない棚などに置くわけもない、
これはそれほどの物でないのであるから、
源氏は見てもよいと許した。
中将は少しずつ読んで見て言う。
「いろんなのがありますね」
自身の想像だけで、 だれとか彼とか筆者を当てようとするのであった。
上手《じょうず》に言い当てるのもある、
全然見当違いのことを、 それであろうと深く追究したりするのもある。
そんな時に源氏はおかしく思いながら あまり相手にならぬようにして、
そして上手に皆を中将から取り返してしまった。
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