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源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

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明石の入道の話を聞く源氏【源氏物語 59 第5帖 若紫3 】源氏は 明石の女人に興味を覚える。北山に滞在中、源氏は 例の山荘で愛らしい少女を見つける

 

「いで、さ言ふとも、田舎びたらむ。

 幼くよりさる所に生ひ出でて、

 古めいたる親にのみ従ひたらむは」

 

「母こそゆゑあるべけれ。

 よき若人、童など、都のやむごとなき所々より、

 類にふれて尋ねとりて、

 まばゆくこそもてなすなれ」

 

「情けなき人なりて行かば、

 さて心安くてしも、え置きたらじをや」

など言ふもあり。

 

君、

「何心ありて、

 海の底まで深う思ひ入るらむ。

 底の「みるめ」も、ものむつかしう」

などのたまひて、

ただならず思したり。

かやうにても、なべてならず、

もてひがみたること好みたまふ御心なれば、

御耳とどまらむをや、

と見たてまつる。

 

「暮れかかりぬれど、

 おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ。

 はや帰らせたまひなむ」

とあるを、

大徳、

「御もののけなど、

 加はれるさまにおはしましけるを、

 今宵は、なほ静かに加持など参りて、

 出でさせたまへ」

と申す。

「さもあること」

と、皆人申す。

君も、かかる旅寝も慣らひたまはねば、

さすがにをかしくて、

「さらば暁に」

とのたまふ。

 

人なくて、つれづれなれば、

夕暮のいたう霞みたるに紛れて、

かの小柴垣のほどに立ち出でたまふ。

人びとは帰したまひて、

惟光朝臣と覗きたまへば、

ただこの西面にしも、

仏据ゑたてまつりて行ふ、

尼なりけり。

 

簾すこし上げて、

花たてまつるめり。

中の柱に寄りゐて、

脇息の上に経を置きて、

いとなやましげに読みゐたる尼君、

ただ人と見えず。

 

四十余ばかりにて、

いと白うあてに、痩せたれど、

つらつきふくらかに、

まみのほど、

髪のうつくしげにそがれたる末も、

なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、

あはれに見たまふ。

 

清げなる大人二人ばかり、

さては童女ぞ出で入り遊ぶ。

中に十ばかりやあらむと見えて、

白き衣、山吹などの萎えたる着て、

走り来たる女子、

あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、

いみじく生ひさき見えて、

うつくしげなる容貌なり。

 

髪は扇を広げたるやうにゆらゆらとして、

顔はいと赤くすりなして立てり。

「何ごとぞや。童女と腹立ちたまへるか」

 とて、尼君の見上げたるに、

すこしおぼえたるところあれば、

「子なめり」と見たまふ。

 

 

「でもどうかね、どんなに美しい娘だといわれていても、

 やはり田舎者らしかろうよ。

 小さい時からそんな所に育つし、

 頑固な親に教育されているのだから」

こんなことも言う。

「しかし母親はりっぱなのだろう。 若い女房や童女など、

 京のよい家にいた人などを何かの縁故からたくさん呼んだりして、

 たいそうなことを娘のためにしているらしいから、

 それでただの田舎娘ができ上がったら満足していられないわけだから、

 私などは娘も相当な価値のある女だろうと思うね」

だれかが言う。

 

源氏は、

「なぜお后にしなければならないのだろうね。

 それでなければ自殺させるという凝り固まりでは、

 ほかから見てもよい気持ちはしないだろうと思う」

などと言いながらも、

好奇心が動かないようでもなさそうである。

平凡でないことに興味を持つ性質を知っている家司《けいし》たちは

源氏の心持ちをそう観察していた。

 

「もう暮れに近うなっておりますが、

 今日は御病気が起こらないで済むのでございましょう。

 もう京へお帰りになりましたら」

と従者は言ったが、

寺では聖人が、

「もう一晩静かに私に加持をおさせになってから

 お帰りになるのがよろしゅうございます」

と言った。

だれも皆この説に賛成した。

源氏も旅で寝ることははじめてなのでうれしくて、

「では帰りは明日に延ばそう」

こう言っていた。

 

山の春の日はことに長くてつれづれでもあったから、

夕方になって、

この山が淡霞《うすがすみ》に包まれてしまった時刻に、

午前にながめた小柴垣《こしばがき》の所へまで源氏は行って見た。

ほかの従者は寺へ帰して惟光《これみつ》だけを供につれて、

その山荘をのぞくと この垣根のすぐ前になっている西向きの座敷に

持仏《じぶつ》を置いてお勤めをする尼がいた。

 

簾《すだれ》を少し上げて、その時に仏前へ花が供えられた。

室の中央の柱に近くすわって、

脇息《きょうそく》の上に経巻を置いて、

病苦のあるふうでそれを読む尼はただの尼とは見えない。

 

四十ぐらいで、

色は非常に白くて上品に痩せてはいるが

頬《ほお》のあたりはふっくりとして、

目つきの美しいのとともに、

短く切り捨ててある髪の裾《すそ》のそろったのが、

かえって長い髪よりも艶《えん》なものであるという感じを与えた。

 

きれいな中年の女房が二人いて、

そのほかにこの座敷を

出たりはいったりして遊んでいる女の子供が幾人かあった。

その中に十歳《とお》ぐらいに見えて、

白の上に淡黄《うすき》の柔らかい着物を重ねて

向こうから走って来た子は、

さっきから何人も見た子供とはいっしょに言うことのできない

麗質を備えていた。

 

将来はどんな美しい人になるだろうと思われるところがあって、

肩の垂《た》れ髪の裾が扇をひろげたように

たくさんでゆらゆらとしていた。

顔は泣いたあとのようで、手でこすって赤くなっている。

尼さんの横へ来て立つと、

「どうしたの、童女たちのことで憤《おこ》っているの」

こう言って見上げた顔と少し似たところがあるので、

この人の子なのであろうと源氏は思った。

 

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