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源氏物語&古典文学を聴く🪷〜少納言チャンネル&古文🌿

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病から回復した源氏【源氏物語 65 第5帖 若紫9】僧都は饗応に心を尽くし 源氏のために尼君に 女王ことをお願いする

🪷【源氏物語 65 第5帖 若紫9】〈古文〉

明けゆく空は、

いといたう霞みて、山の鳥どもそこはかとなうさへづりあひたり。

名も知らぬ木草の花どもも、いろいろに散りまじり、

錦を敷けると見ゆるに、鹿のたたずみ歩くも、

めづらしく見たまふに、悩ましさも紛れ果てぬ。

 

聖、動きもえせねど、とかうして護身参らせたまふ。

かれたる声の、いといたうすきひがめるも、

あはれに功づきて、陀羅尼誦みたり。

 

御迎への人びと参りて、おこたりたまへる喜び聞こえ、

内裏よりも御とぶらひあり。

僧都、世に見えぬさまの御くだもの、

何くれと、谷の底まで堀り出で、いとなみきこえたまふ。

 

「今年ばかりの誓ひ深うはべりて、御送りにもえ参りはべるまじきこと。

  なかなかにも思ひたまへらるべきかな」

など聞こえたまひて、大御酒参りたまふ。

 

「山水に心とまりはべりぬれど、内裏よりもおぼつかながらせたまへるも、

  かしこければなむ。今、この花の折過ぐさず参り来む。

 宮人に行きて語らむ山桜

 風よりさきに来ても見るべく」

とのたまふ御もてなし、声づかひさへ、

目もあやなるに、

優曇華の花待ち得たる心地して

 深山桜に目こそ移らね」

 と聞こえたまへば、ほほゑみて、

時ありて、一度開くなるは、かたかなるものを」

とのたまふ。

 聖、御土器賜はりて、

「奥山の松のとぼそをまれに開けて

 まだ見ぬ花の顔を見るかな」

と、うち泣きて見たてまつる。

聖、御まもりに、独鈷たてまつる。

 

見たまひて、

僧都聖徳太子百済より得たまへりける金剛子の数珠の、

玉の装束したる、やがてその国より入れたる筥の、

唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝に付けて、

紺瑠璃の壺どもに、御薬ども入れて、藤、桜などに付けて、

所につけたる御贈物ども、ささげたてまつりたまふ。

 

君、聖よりはじめ、読経しつる法師の布施ども、

まうけの物ども、さまざまに取りにつかはしたりければ、

そのわたりの山がつまで、さるべき物ども賜ひ、

御誦経などして出でたまふ。

内に僧都入りたまひて、かの聞こえたまひしこと、

まねびきこえたまへど、

「ともかくも、ただ今は、聞こえむかたなし。

 もし、御志あらば、いま四、五年を過ぐしてこそは、ともかくも」

とのたまへば、

「さなむ」

と同じさまにのみあるを、本意なしと思す。

御消息、僧都のもとなる小さき童して、

 

「夕まぐれほのかに花の色を見て

 今朝は霞の立ちぞわづらふ」

御返し、

「まことにや花のあたりは立ち憂きと

 霞むる空の気色をも見む」

と、よしある手の、いとあてなるを、うち捨て書いたまへり。

 

🪷〈現代文〉

夜明けの空は十二分に霞んで、

山の鳥声がどこで啼《な》くとなしに多く聞こえてきた。

都人《みやこびと》には 名のわかりにくい木や草の花が多く咲き多く地に散っていた。

こんな深山の錦《にしき》の上へ 鹿が出て来たりするのも珍しいながめで、

源氏は病苦からまったく解放されたのである。

 

聖人は動くことも容易でない老体であったが、

源氏のために僧都の坊へ来て護身の法を行なったりしていた。

嗄々《かれがれ》な所々が消えるような声で

経を読んでいるのが身にしみもし、

尊くも思われた。

経は陀羅尼《だらに》である。

 

京から源氏の迎えの一行が山へ着いて、

病気の全快された喜びが述べられ 御所のお使いも来た。

僧都は珍客のためによい菓子を種々《くさぐさ》作らせ、

渓間《たにま》へまでも珍しい料理の材料を求めに 人を出して

饗応《きょうおう》に骨を折った。

 

「まだ今年じゅうは山籠《やまごも》りのお誓いがしてあって、

 お帰りの際に京までお送りしたいのができませんから、

 かえって御訪問が恨めしく思われるかもしれません」

 などと言いながら僧都は源氏に酒をすすめた。

 

「山の風景に十分愛着を感じているのですが、

 陛下に御心配をおかけ申すのももったいないことですから、

 またもう一度、この花の咲いているうちに参りましょう、

 『宮人に 行きて語らん 山ざくら

  風よりさきに 来ても見るべく』

 歌の発声も態度もみごとな源氏であった。

 

僧都が、

優曇華うどんげ》の 花まち得たる ここちして

 深山《みやま》桜 に目こそ移らね』

と言うと源氏は微笑しながら、

「長い間にまれに一度咲くという花は御覧になることが困難でしょう。

 私とは違います」

と言っていた。

巌窟《がんくつ》の聖人《しょうにん》は酒杯を得て、

『奥山の 松の戸ぼそを 稀《まれ》に開けて

 まだ見ぬ花の 顔を見るかな』

と言って泣きながら源氏をながめていた。

聖人は 源氏を護る法のこめられてある独鈷《どっこ》を献上した。

 

それを見て僧都聖徳太子百済《くだら》の国からお得になった

金剛子《こんごうし》の数珠《じゅず》に宝玉の飾りのついたのを、

その当時のいかにも日本の物らしくない箱に入れたままで

薄物の袋に包んだのを五葉の木の枝につけた物と、

紺瑠璃《こんるり》などの宝石の壺へ 薬を詰めた幾個かを

藤や桜の枝につけた物と、山寺の僧都の贈り物らしい物を出した。

 

源氏は巌窟の聖人をはじめとして、

上の寺で経を読んだ僧たちへの布施の品々、

料理の詰め合わせなどを京へ取りにやってあったので、

それらが届いた時、

山の仕事をする下級労働者までが

皆相当な贈り物を受けたのである。

なお僧都の堂で誦経《ずきょう》をしてもらうための寄進もして、

山を源氏の立って行く前に、

僧都は姉の所に行って源氏から頼まれた話を取り次ぎしたが、

「今のところでは何ともお返辞の申しようがありません。

 御縁がもしありましたなら

 もう四、五年して改めておっしゃってくだすったら」

と尼君は言うだけだった。

源氏は前夜聞いたのと同じような返辞を僧都から伝えられて

自身の気持ちの理解されないことを歎《なげ》いた。

手紙を僧都の召使の小童に持たせてやった。

『夕まぐれ ほのかに花の 色を見て

 今朝《けさ》は霞の 立ちぞわづらふ』

という歌である。

返歌は、

『まことにや 花のほとりは 立ち憂《う》きと

 霞《かす》むる空の けしきをも見ん』

こうだった。

貴女《きじょ》らしい品のよい手で 飾りけなしに書いてあった。

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